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本屋あるいは迷路でのこと

    本屋に入って、ちゃんと出口から出られたことが、今まで何度あっただろうか。

    本屋は好きだ。人よりも本の数の方がずっと多くて、みなが自分に買って行かれる可能性を有している。ひとつひとつ見てやりたいが大型書店だとそうもいかず、直感的に表紙やタイトルを見ていき、気になったものを手に取り、また棚に戻す。その繰り返しの中で一等強く心惹かれた本のみを片手に、あるいは買い物カゴの中にキープする。ほんの僅かな心の揺れを逃さぬよう、慎重に、慎重に。本屋での買い物は、自分自身との対話に等しい。

    やがて疲れが襲ってくる。立ちっぱなしの足に、悩みっぱなしの脳に、鞄をかけっぱなしの肩に、それは襲ってくる。耐えかねてレジへと急ぎ、手にしている一冊を店員へ差し出す。一冊は買えるのだ。まだ足も脳も肩も元気なうちに、これという一冊は見つかる。しかし、三冊くらいは買うつもりで来たのに、一冊しか買えないのでは不完全燃焼である。本屋は迷路のようなもので、最後まで正常な脳で吟味し、満足のいく数の本を見つけると、自然と出口が見えてくる。疲れてしまって不完全燃焼のまま本屋を出た今日の私は、迷路を解けずに入口から出てきてしまったのと同じだ。それでも本を持ち帰ることが叶っただけまだましで、もちろん一冊も見つけられずに脱落する日だってある。

    今日は本屋に寄る前、就活イベントに参加していた。就活イベントというものは、パチンコ店より五月蝿く、歌舞伎町より客引きが多い。私はあれ以上に強引な客引きに出会ったことがない。すっかり疲れているのに、それでも尚本屋に立ち寄ったのだ。完全に中毒である。アルコールやカフェインの依存症と同じで、読んでも読んでも喉が渇くような感覚になる。一度の来店で一冊というペースでは到底間に合わなくなってきている。(ただこれは私が数冊の本を並行して読む飽き性であるためで、一冊ずつ読破していく人ならばこんなに激しい購買意欲は芽生えないかもしれない。)


    それでも不思議と、本屋を出て外の空気を吸い込んだとき、心がすっきりとしたのを感じた。就活への不安や焦り、何社もの人事の方のお誘いを断ることによる消耗、そういった心の疲れの存在感が薄れたような気がした。数え切れない程多くの本を見て、手に取り、膨大な情報や物語の荒波にもまれ、気づくと心の棘が丸くなりすべすべとした石のようになっている。そんな気分だった。目の前の本のことで頭をいっぱいにしていたら、苦しさがまるで夢を見る前のことのように、遠くに感じられた。


    出口から出られなくても、大した収穫はなくても、心には効いている。読書依存症に救いがあるとしたら、こういうところかもしれない。

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