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第6話「もう冬になるのに」

    ひとりが好きだ。

    最近は、家族ですら一日中一緒にいられない。

    人が誰かと一緒にいたがるのは、ほんとうには皆孤独だからだ。家族や友達や恋人がいても抹消できない深い深い孤独がすべての人間にあって、それを誤魔化したり忘れたりするために、暖を取るように集まるのだろう。でも私は、その孤独がうれしい。寒々と孤独でいられることが喜びで、誤魔化さずに噛みしめたい。

    もちろん、孤独であっても完全にひとりでいられないことはわかっている。そもそも、無償の愛を注いでくれる家族や時々会って「好きだよ」と微笑んでくれる友人がいるからこそ、安心してひとりでいられる。感謝はずっとしている。でもその全ての人たちから離れて孤独の不可侵領域でいつまでもたそがれていたいと思う時間が、私は多分他の人よりも遥かに長い。そしてその分、罪悪感も大きいから、今こうして言葉にして吐き出している。ごめんなさい。ゆるして。これは生きている人間よりも寧ろ、神様に向かって懺悔していることに近い。

    孤独をありがたがっている人間には、大学生活というものは息苦しくて仕方ない。教室でも食堂でも屋外でも、二人以上で大きな声で楽しそうに話している人々のなんと多いことか。自分にとっての幸せを追求する日々は素晴らしいので、どんどんやってほしい。そう思っていることには間違いないが、周りにそんな人ばかりいるとひとりでいる者にとっては煩く感じられ、なるべく静かな場所を求めてしまう。そんなときは喫茶店などに逃げ込んで、呼吸をととのえてからまた群衆の中へと戻っていく。

    そろそろ寒さが本格化し、冬眠する者はぼちぼち眠りにつく頃だ。それはつまり、スナフキンがムーミン谷を発つときでもある。スナフキンは孤独の代名詞のような存在だが、彼はどのように「ひとりでないこと」とつきあっているのだろうか。ムーミンたちが彼を理解しているから彼の生活は成り立っているのか。完璧に理解できないにせよ「そういうもの」と割り切れる者しかムーミン谷にはいないのかもしれない。でも人間だとそうはいかない。スナフキンの哲学を解説する記事や書籍はたくさんあるが、それはしょせん誰かの目を通したスナフキンについて述べられているわけで、読んだところでスナフキンの本心を知るには至れないだろう。今度ムーミンバレーパークへ行ったときは、ムーミンのコミックや小説をたくさん読んでみて、なにか気づきを得られたらいい。

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