見出し画像

1/11 ノスタルジー

    喫茶店のふたりがけの席に、向かいあって座っている。紅茶が運ばれる。コーヒーでもクリームソーダでもなく、つやつやした紅茶がテーブルにそっと置かれる。向こうにはケーキだけが置かれる。あるいはチョコレートパフェ。あるいはレモンスカッシュ。喫茶店はひとりで行くものだと思っていたし、実際365日中350日の私は今もそう思っているけど、残りの15日の私がだれかと喫茶店へ行きたがる。リビングで冷めた白湯を飲む私が、届かない(届く気もない)人のぬくもりを求めている。本当なら交差しなかったはずのふたつの人生が、ほんの一瞬だけ重なる。そのときだけ、私は知らない息の音に耳をすませる。ふだん聴かない音を聴くこと。名曲喫茶に似ている。深い茶色の記憶の中に、真鯛のお寿司が混じっていることに気づく。喫茶店と回転寿司が同じ記憶の部屋にいる。大事なのは場所ではなく、相手がほとんど知らない人ということだった。知らない人の知らない気持ちを、目の前のものを口に運びながら、静かに聞いているのが心地よい時間もあった。そういえば知らない街へ行ったとき、そこが知っているだれかの住んでいる街だったり、だれかがかつて訪問した街であることを思い出すと、とても落ち着くときがある。その人と行った気になっているのだろうか。夏の感触が思い出せない。暑い季節や暖かい季節の空気が思い出せないから、部屋の半分ほどは他人事のように感じる。寒暖差で風邪をひかないためには、そのくらいの距離感がちょうどいい。糸巻きの糸を取り出すように、記憶の中の非日常を手繰り寄せても、今ここにある日常は変わらない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?