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もしコラは一回お休み

    すこぶる体調が悪い。体調が悪い上に今日はバイトに出なければならない。こんな日は、好きなひとに愛されたくなる。

    最早私の好きなひとがこれを読む可能性は0に限りなく近いので書くが、私の知る範囲で彼はとても控えめな人間だった。コミュ障で、リセットくんだ。リセットくんというのは、一度仲良くなったにも関わらず数ヶ月後に会ったらまたぎこちなくなってしまうという意味で。そしておそらく、素晴らしく綺麗な世界に住んでいる。幻想かもしれないが、私には彼が、日光を反射した海のように見えた。深い森に差し込む木漏れ日や、青々と茂る芝生のようにも。2020年代の地球に彼のような人が生きていることは、果てしない希望に感じられる。私は毎日のように、彼の挙動を思い出す。初めて二人で会った日、おしぼりを開いては閉じて、また開いて、と手元が忙しかったのや、どこのドアでもなめらかに開けて私が通るのを待ってくれること。どちらに座ったって真ん中に近いような映画館の席でさえ気にかけてくれること。あの人は多分どこにいても、一緒にいる人を幸せにしてしまう。

    私はきっと、もう彼に会うことは叶わない。私がまたお願いすれば快諾してくれるだろうけど、いい加減しつこい気がする。それになんだか、もう私とあの人とが近づけない方向で運命は進んでいっていると思う。好きとは書いたが性愛かはわからず、憧れかも執着かもしれない、何も付属しない愛かもしれないと、不確かな自覚のまま私の時間は進み、あの人も私を思い出すことなどほとんどないまま幸せに生きていくだろう。それでいい。煌めく時間があったこと、私が美しい気持ちでいられたことは変わらない。

    けれど二つだけ後悔がある。ひとつは、ここに書いたことを彼に伝えられなかったこと。もうひとつは、彼と一度も抱き合えなかったことだ。私の片想いに終わったので当たり前のことだが、私は彼と抱き合うときの感覚を知りたかった。あの体を見ていて、なんとなく、抱き合ったらぴたりとはまるのではないかと思っていたのだ。人に言えば確実に気持ち悪がられてしまうので私の中だけに留めておいたが、それが果たせなかったのは残念というか、少しせつないと思う。

    今日この瞬間も、彼はどこかで生きている。冬休みに出された大量のレポートはきっともう終わっていて、バイトにかなり慣れてきて、本を読んだり映画を観たり、黄昏時の空をぼんやり眺めたりして、その人生を進めている。私の人生と交わるのはせいぜい同窓会のときくらいか、もしかしたら一生ないかもしれない。私は私の知るあの人しか知らなくて、記憶と想像で形づくられた彼を想い、時々どうでもよくなったりもしながらやっぱり好きだったことを忘れられずに、ただこれだけは自信をもって、彼の幸せを祈っている。

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