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大学卒業後大阪という大都市から長野の町へ 果樹農家を目指す23歳の地域おこし協力隊という選択 (挑戦編)



都会は仕事先がたくさん、色々なお店もあって、たくさんのものが買える。そんな都会暮らしに憧れて地方から上京した人、都会に居続けたいと思っている人はいると思う。でも、たくさんの人やお店にあふれているはずなのに、隣に住んでいる人も知らない、ご近所付き合い、自然も少ない。そこに疑問を感じたことはあるだろうか。
大阪という大都会で育ち、現在長野県下伊那郡松川町という地方へ大学卒業してすぐに果樹農家を目指すべく、移住した乾なおさん。
なぜ都会暮らしへ疑問をもち、地方へ移住という選択をとったのか。今回のインタビューでは、都市での暮らしに疑問を持った方、地方暮らしに挑戦してみたい方そんな方へお勧めしたい記事になる。

プロフィール
乾真緒 近畿大学国際学部卒業 (現在)長野県下伊那郡松川町地域おこし協力隊果樹研修生


フルーツパラダイス 長野県下伊那郡松川町


松川町のりんご

乾さんが移住した長野県下伊那郡松川町は人口12233人(令和5年時点)、中央アルプスと南アルプスに囲まれたこの町は、積雪量・台風被害も少なく、町の中でも標高差があるためみかんなどの柑橘類以外は様々な種類の果樹栽培ができる果樹の名産地である。夏になると辺り一面がりんごやももが実りだし、まさにフルーツパラダイスになる。例にあげると、りんご、なし、ぶどう、もも、さくらんぼ、プラム、プルーン。市田柿はブランド化されている柿にもなる。 一方で、年少人口・生産人口が減少し続けて少子高齢化、過疎化が進んでいること、農業従事者もその影響を受けて耕作放棄が増えてしまっているという。 そんな中で若手農業者グループ(23歳~43歳で構成される)が結成され、地元農業を盛り上げる団体に乾さんも参加して活動をおこなっている。 

 地域おこし協力隊と果樹農家研修制度

果樹の名産地松川町へ地域おこし協力隊として移住した乾さんは、果樹農家を目指すため果樹農家研修制度というものを活用して日々奮闘している。制度の内容としては、果樹農家になるために3年間行政からお金を頂きながら研修をするということである。1年目は、松川町で有名な農業法人のもとで、大規模に生産、流通、加工のノウハウを学び、2年目は自分が栽培したいなし、ももを栽培する個人農家さんで勉強、3年目から自分の畑で実践し始め、4年目から独立していくという流れとだという。乾さんは現在1年目を終え、2年目に突入しているタイミングである。

 サークル活動で農と出会いコミュニティの大切さを知る

当時学生であった乾さんがスーパーでアルバイトをしていた時に、まだ食べられるのに大量に捨てられてしまう食品を目の当たりにして食品ロスに興味をもった。そこで友達が参加している食品ロス関係のサークル活動に、ご縁で入ることにした。サークル活動の内容としては、農家さんの栽培過程で出てしまう規格外野菜を仕入れて、子供食堂に寄付するということ、援農(農家さんの栽培のお手伝い)、お酒づくりを行っていたという。そのサークル活動での農家さんとの出会いがのちに農家を目指すきっかけとなったようだ。ある時サークル活動で奈良の農園に行った時、そこでみんなでピザ窯を作ったり、そこで実際に焼いてピザを仲間と食べたりしたときに地元大阪では体験できないこと、コミュニティの重要性について気がつかされたという。
その経験から大阪を出て地方で農的暮らしがしたい。そう思い始めたようだ。
農業に興味を持ち始めてから、農学部の教授のもとへ初心者だけど農業がしたいと相談しに行ったという。そこで聞いたワードが「地域おこし協力隊」だった。興味のまま長野県川上村というレタスの名産地へアルバイトをしに行った時にとんとん拍子で物事が進む。現地の人に果樹農家に興味があると相談したところ、松川町へと案内してもらい、そこでは地域おこし協力隊で果樹農家になる人を募集していたようだった。それを機会に彼女の移住の決心が固まっていった。

都市で感じていた違和感が田舎で解決していく

      松川町から見た風景

彼女の出身である大阪という大都市で暮らしていた時に、彼女は様々な違和感を覚えていたという。
 
乾-
地元大阪は、15階以上のビルだらけな街。隙間があれば高層マンションやビルが建ってしまう。 ビルで圧倒してしまっているから空が全然見えないの。空がすごく狭くて、伊丹空港があって好きな飛行機が空の上をよく通るけど見上げても見えない。それが個人的にすごく悲しかった 。結構自分は太陽からエネルギーを持って生きている人間だから、それを得られないのも嫌だった。当時はマンション住みだったけど、隣の人のことを何もしらない。(どういう人が住んでいるか、家族構成もしらない)それも寂しかった。
 
移住してきて1年ほどになるが、松川町はいいことがたくさんありすぎるようだ。まずは、空が大きすぎること、景色を見ても見飽きない、景色と食の四季を感じながら過ごす日々にとても魅力を感じているようであった。他にもびっくりすることがたくさん起こっていった。
 
乾-
最初移住してきてすぐに、山菜を採る文化があった。こっちに来てからはそんなものを食べるのかと衝撃だったよ。野菜を育てている人が多いから、その野菜・果物をお裾分けしてもらうことも多くて!!すごく高いももや長野パープルというブランドのぶどうまで。それで生活をおくれるくらい。スーパーだと、卵・お肉・牛乳くらいしか買わないね。
後は一人暮らしだけど、地域の人たちがよく声をかけてくれるから全然寂しくない。地域内の繋がりがすごくあるから安心する環境だね。
 
都会で暮らしていた時の違和感が移住をきっかけにどんどん解決されていっているようだ。都会には都会の良さがあり、田舎には田舎の自然、食、人との繋がりの豊かさがある。そして、彼女はこの松川町に惹かれ今後やっていきたいことがたくさんあると語る。

      農という空間づくり

研修先のりんご畑

目先の目標は、専業農家として生計を立てられるように努力していくことである。新規就農者の約3割が離農していくという厳しい農業の世界で、彼女は地域の方々に協力してもらいながら農業を学んでいる。彼女の将来的な目標は農を通じた空間づくりをしていきたいという。
 
乾-
自分の育てた果物の直売、それを使ったお菓子や加工品を作ること、それを農家民宿かカフェで販売して「この空間いいなぁ」と思ってもらえるようにすることをやっていきたい。
畑で結婚式をしてもらえたらもっと思い出にもなるのかな。
 
23歳という若さで大都会から地方へ自ら移住を決断した乾さん。自分の生き方が決まっていくタイミングは、何か自分の興味あることに自ら行動したときにふと訪れてくるものなのだろうか。都会暮らしに疑問を感じ、ライフスタイルを変えてみたいという方はぜひ地方・田舎暮らしという選択を頭の片隅に入れてほしい。自然・食・人の繋がりを体感したいという方はぜひ彼女が自ら農園を開いたときに遊びにきて体感していってはいかがでしょうか。私は行動力・決断力の「変人・乾さん」を今後も応援し続けていこうと思う。

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