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◎2 回避ひとくち話-1

回避性パーソナリティ障害。
分かったようで分からない、雲をつかむような診断名です。

ただ、私の身に起こった「回避らしきもの」を、はさみでじょきじょき切り出すことはできます。
そんなに深刻じゃないお話を、さくさく書いていこうと思います。


大人になってから社会人として致命的な回避行動ばかりとるような私ですが、
その傾向が出てきたのは、中学生ごろのようです。


「イメチェン」は恥ずかしい?


目が悪かった私は、小学生のときからメガネをかけていました。
フレームが大きくて黒ぶち、分厚いレンズ。
いわゆる「びん底メガネ」です。


はっきり言って、めちゃくちゃダサいやつです。



洒落っ気の出てきた中学2年生のとき、「いい加減メガネは卒業したい!」と思って、両親に「コンタクトに変えたい」と懇願しました。

日曜日に眼科に行き、コンタクトをつくりました。

ここまでは良かったのです。




翌日、朝、コンタクトを目の前に置き、鏡の前に座りました。そのとき、こういう思考が脳裏に浮かびました。

「私がこれをつけていったとして、友達にどう思われるだろう?」


その瞬間、大きな不安が胸を襲いました。
隣に座っている、いわゆる「カースト上位」の女の子が、私のことを笑う映像が浮かびました。



「今までセンスないメガネかけてたのに、コンタクトなんかにして!」
「ていうか、全然似合ってない!」
「コンタクトしてても、やっぱりいかちゃんはダサいな~」



いやいや、そんなの、恥ずかしすぎる。耐えられない!

私はコンタクトを引き出しの中にしまいました。



以降、「大学デビュー」するまで、私はびん底メガネをかけ続けました。
おしゃれなメガネに変えることすら、できなかったのです。


引き出しの中のコンタクトはカピカピになりました。


笑っちゃうくらい、小さなことです。
きっと、1日だけ、同級生の注目を我慢したら、済んだ話なのです。

でも、そんなことすらできなかった。どうしても、できなかった。
何か、他者の視線を集めてしまうような場面を、避けてしまうのです。



こういう感じ方に支配されていると、身動きがとれなくなってきます。
全身がガチガチにギプスで固められていて、動こうにも動けなくなるのです。

そうした小さな回避行動を積み重ねて、私は大人になりました。
いつからか、外に出ることすらできなくなってしまいました。ご隠居です。


もっとはっきり言うのならば、引きこもりです。


いま考えれば、「なんでそんなことを!」と思う。
きっと、未来の自分もそう思っている。

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