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飽きた

初めは刺激的だった物事も、回数を重ねれば慣れてくるものである。慣れてくるどころか、次第につまらなく感じてきて、最終的に飽き飽きする。


例えば夜更かし。子供の頃、母親に寝るように言われ布団に入るも、中でこっそりゲームなどをしたのは良い思い出だ。バレるかバレないかヒヤヒヤしながら進めるRPGほど刺激的なものはなかった。大抵バレてしばかれるのだが。


それが今となっては「明日の仕事に響くからさっさと寝よう」と思うようになった。次の日が休みでも「明日朝イチで動きたいから寝よう」と思うことが増えた。


他には食事なども挙げられる。僕は一時期、朝夜のご飯を全てUber eatsで注文していたことがあった。


初めは「なんて効率的で楽なのだろう!」と興奮していたのだが、次第に「クソ高い金払って馬鹿みてえだ。あとチップもケチるくせに人様に飯運ばせて何様のつもりだ」と思うようになってやめた。


これは賛否が分かれるかもしれないが、ディズニーはどうだろうか。僕からすれば数年に1度行くか行かないかくらいの頻度ではあるが、物凄くちょうど良い。多分年1とか2とかで行くようになったら絶対に飽きる。


何より、ここ最近急激に飽きを感じてきた物事がある。賛否ではない。否しかないことは目に見えているが、吐き出さずにはいられないので書かせてもらう。


SNSでの結婚、妊娠、出産、子育ての報告である。これにはほとほと飽き飽きしている。毎日誰かしらの結婚か妊娠か出産か子育て(主に子育てだが)の投稿を目の当たりにする。


もちろん、報告する方々の喜びは理解しているし、こちらとしても手放しで喜びたいところではある。加えて、誰も僕に向けて発信しているわけではないことも分かっている。


ただ、ただ僕が飽きた。それだけの話だ。


初めて知り合いのそういった報告を目にしたのは、恐らく19歳かそこらだった。心底驚いたし、嬉しかったし、興奮した。自分も遂にそういう歳になったかと(今思えば早すぎる)、何故だか自分の成長に鼻が高くなった。


あいつが同棲した。あの子が結婚した。あの人が妊娠して出産した。彼の子どもの名前はああで、彼女の彼氏の顔はどんなで、確か今あいつらは付き合って何年で。


全部SNSの情報で分かる。人の子どもの顔も名前も毎日のように目にするから、気持ちが滅入ってしまった。


初めの頃は憧れていた。「俺も早く同棲して結婚して子ども作ってその様子をSNSに載せて記録として残しておきたい」とか本気で思っていた時期もあった。


でも今は全く思わない。結婚も焦ってないし子どもが生まれてもSNSには絶対に載せないと決めている。


結婚は、本気でしたいと思った相手と、したいと思った時期にすればいいし、子どもの写真は自分のスマホに保存してあれば十分だ。


批判しているわけではない。気持ちは理解できる。今の時代、自分の宝物(無形物含む)は外界へ発信するのが常識である。


僕は、僕自身がそれをやる前に飽きてしまったからやらないと決めた。完全に「もうええわ」状態。


「もうええわ」状態といえば、気の合わない人間関係も同様である。幼い頃からずっと一緒にいて、成人してから数年は遊び倒していた仲の良い友人達がいる。


あれだけ毎日のように顔を合わせていたのに、今では「もうええわ」状態。年に1度会えば良いし、会わなくても良いと思っている。なぜか。気が合わなくなったからだ。気というか、ノリというか、空気感。


当然のことながら、人は変わる。それが成長なのか衰退なのかは分からないが、とにかく久々に会った時「あれ、こいつらといる時こんなに笑えなかったっけな?」と思ったことがあったのだ。それからは徐々に距離を置いた。


歳を取って良かったなと思うことがある。世間的に見ればまだまだ若いとは思うが、良かったなと思うこと。飽きたな、面倒臭いなと思ったら、スッパリさようならできるようになった。もう若くないから、あれもこれも頑張って繋ぎ止めていたら、体力が持たないのだ。


取捨選択する必要がある。これは絶対に必要で、これは不要であると、残酷ではあるが選択する必要が。体力は低下していく一方なので、重い荷物は運べない。切り捨て切り捨て、身軽になる他ない。


飽き飽きして、面倒事は避けて通って、捨てるべきものを捨てて、今手元に残っているのは、心の底から楽しいと思えることばかりだ。だからここ最近人生の調子が良いのかもしれない。笑えているのかもしれない。あれもこれもは救えないし、持ち運べない。


「大人になるってこういうことなのかもな」としみじみ思った午前0時であった。明日も早いのでもう寝る。

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