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我が2人の自閉症児の夏の話 2023 | 世界自閉症啓発デーに寄せて

もうこのnoteでもいくつかのエピソードを書いているが、私には2人の自閉症児がいる。4人いる子どものうちの三番目(11歳・男の子)と四番目(9歳・女の子)だ。二人とも地元の支援学校に通っている。

このnoteテキストは2023年の8月に起きた話を同年9月ぐらい書き始めて、書き終わることなく、ずっと宙ぶらりんのまま半年以上放置していたもの。それを、世界自閉症啓発デーの前日である2024年4月1日の夜に、酒をちびちび飲みながら、翌日の啓発デーになんとか間に合わせようと再びテキストに向き合っている次第。

明日は、大学進学に伴う長男の引っ越しを行う日だ。現在、22時12分。誰に頼まれたわけでもないが、今日中に、あと1時間ぐらいで書き切りたい。レッツゴー!




お盆のお墓参りで、その奇跡は起きた!

三番目が11歳にして初トイレができた話」という投稿があるように、小学5年生になる三番目の子はつい最近、この6月にやっと家でトイレができるようになった。それまでは家ではオムツ。

お読みの皆さんの中には「11歳までトイレできなかったの?」と驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、私たち家族にとっては、何歳だろうが、というか11年かかっても、トイレができるようになったことが抱き合って飛び上がるほど嬉しかった。

夏休みに入って、家で過ごす時間が長くなっても、彼のトイレは順調で「あの日の喜びを忘れないようにしよう」と夫婦で口に出すほど逆に、つい最近まであったオムツ時代の記憶は薄くなっていきました。


それはある日、突然訪れた

一日に何度も取り替えていたオムツ時代から比べれば、自立的で平穏な日々が流れていましたが、ある日突然、「どうしよう?」が訪れました。

お盆のお墓参りです。

夫婦両家のお墓参りを一度にすると、1時間半ほどかかります。三番目は発語がありません。つまり話せないので、1時間半の外出中にトイレがしたくなったら、我々にどう伝えることができるんだろう?

そもそもトイレが自立したのが2-3ヶ月前ですから、彼にとっても、私たち親にとっても初めてのことです。

なんだかんだヘタレで心配性の私は妻に
「お墓参りの時だけは、オムツにしようか」と言いました。

「もう うちにはオムツなんてないわよ。
大丈夫、トイレがある所に寄る度に、”トイレ行く?”って聞いてみれば、行きたい時にはちゃんと教えてくれるわ」

母強し、妻ステキ、俺ヘタレです。

家を出る前に一度トイレに行かせ、お墓参りにいざ出発です。

家を出てから1時間ちょっと経ち、二箇所目のお墓参りが終わったタイミングでお寺にトイレがあったので、「トイレ行く?」と妻が聞きました。理解しているのかは定かではありませんが、コクッと頷き、トイレのある建物の中に一緒に入っていきました。

そしてなんとなんと、初めて入ったのに、ズンズン先頭を歩き、トイレのマークを見つけ、男子トイレに入り、ズボンとパンツを足首まで下ろし、世に言う「立っション」をしたではありませんか!!!

6月の初トイレ以来の、大感動です!!!

感動に打ちひしがれている私の隣で妻は「ねっ、言ったでしょ。」とさらり。

母強し、妻ステキ、俺ヘタレです。

初の外出トイレ大成功後、すっきりした様子でお寺にいる鯉を眺めていますw
九品寺」様、お世話になりました。


こうして無事に何事もなく、三箇所のお墓参りを家族みんなで終えることができました。

さぁ、お祝いです。パーティーです。
普段、なかなか外に出たがらない次男が外出し、さらには外出先でのトイレ作戦に初チャレンジし成功を収めたのです。一緒にスーパーに行き、好きなものを買ってあげることにしました。

・・・・・・


えっ、一人でカゴ一つ分、、w
ご満悦のポーズw

こちらの想像を超える「爆買い」w
お菓子やカップ麺にまざって、カレールーまで買っていますw
カレーが食べたかったんだろうな。


夏祭りへチャレンジ

翌日。
義姉妹がお盆で帰省しました。義姉にいたっては、コロナ禍もあり実に6年ぶりの帰省です。中学一年だった長男が高校三年、2歳だった次女が8歳ですから、義姉の驚きは人一倍だったかと。

久しぶりの地元、久しぶりの甥っ子&姪っ子との再会、夏。
みんなで夏祭りに行こうとなりました。

目指す夏祭りは、隣町の盆踊り。激混みで有名です。
そこへ電車で行こうとなりました。
普段の私たち家族だけなら、あり得ない選択肢です。
二人の自閉症児は、環境の変化や音にとても敏感。

でもそれを知った上で、「それでも電車で盆踊りに行ってみよう」と言ってくれる心強い義姉妹が今回はいます。昨日の外出先トイレ作戦の成功体験もあります。イガリ家、今年の夏はアグレッシブに攻めてみますw

とはいえ、万が一の保険は備えておかないといけないかもと思い、私だけ車で盆踊り会場になるべく近い駐車場まで行きました。

義姉妹、妻、長女、そして次男/次女の自閉症児コンビの5人は電車で向かいました。

電車の中での様子


失敗と学び

私は夏祭り会場の近くとはいえ500m以上離れていた駐車場だったので、そこから歩いて向かいます。電車組は駅を出たら、目の前が夏祭り会場というロケーション。

電車組の方が先に会場に着いたようです。
携帯に妻から着信。
電話に出ます。

盆踊りの爆音が電話の奥から聞こえる中で、妻。
「ダメみたい。○○銀行の前にいます。」

急いで待合場所に行くと、次男は両手で耳を塞いでいました。
音に敏感な彼を盆踊りに連れて行くのに、防音のための「イヤーマフ」を持って行かなかった私たち親の配慮のなさに大反省。次に活かします。


こんな感じで昔から使っていたのに、、、。反省、、、


そして末っ子の次女はギャン泣き。あらん限りの力で泣き叫んでいました。でも、義姉妹のおかげで盆踊りに行ってみることができたので、ナイスチャレンジです。まだ難しかったのかなとか、イヤーマフを忘れないようにするなどの気づきも得ることができました。

こんな事態に備えて、近くに車を持ってきていますし、さぁ帰ろう。


”きょうだい児”としての長女

盆踊り会場から離れれば離れるほど、喧騒も小さくなっていきます。喧騒が小さくなっていけばいくほど、二人の自閉症児も落ち着いていきました。出店なんかも堪能できなかったので、家に帰ってご飯を食べようと駐車場まで歩いていく中、一人、様子が変なことに気付きました。

中学二年生の長女です。
黙って、うつむいたまま歩いています。
こちらが話しかけても反応しません。

後日談といいますか、のちに語ってくれましたが、盆踊りに行く電車の中から弟と妹が泣いたり、叫んだりしていて、周りに迷惑がかかるから泣き止んでもらいたいとも思ったけど泣き止まない。それに周囲の目が気になっていた。電車の中だけでなく、盆踊り会場に着いたら、もっと泣いてしまい、いたたまれない、辛いと感じたということでした。

そりゃそうだよね。
親だって、公園で遊ばせているときに、他の子どもたちの視線が気になるんだもん。

自閉症である二人の子どもへの配慮も親として足りませんでしたが、それに付き添ってくれる、世に言う「きょうだい児」である長女への配慮もまた欠如していました。


「きょうだい児」とは、障害や病気、発達に特別な支援が必要なきょうだい(兄弟姉妹)を持つ子どものことを指します。この言葉は、特別な支援を必要とする人々だけでなく、その家族全体、特にきょうだいに対しても注意と理解を払う必要があることを示しています。

きょうだい児は、しばしば自分の感情やニーズを後回しにしがちであり、両親や家族の注意が特別な支援が必要な子に向けられがちであることから、見過ごされることがあります。この状況は、きょうだい児にさまざまな感情を引き起こすことがあります。たとえば、孤独感、嫉妬、罪悪感、または過度の責任感などです。また、肯定的な影響もあり得ます。たとえば、他者に対する強い共感や、困難な状況に対処する能力が高まることがあります。

きょうだい児の支援としては、彼らの感情を理解し受け入れること、きょうだい児だけでなく家族全体で支援を受けること、そしてきょうだい児が自分の感情や経験について話せる安全な場を提供することが重要です。このような支援により、きょうだい児は自分だけでなく、家族全体としての強さや絆を見出し、成長することができます。

Chat GPTより


「信じ、待つこと」VS「親の先回り」

二人の自閉症児を防音用のイヤーマフなど用意せずに盆踊り会場へ電車で連れていったこと。そして、案の定、泣き叫ぶ彼らに付き添い、周囲の目に晒され、疲れてしまった”きょうだい児”である長女への配慮のなさ。

いずれも親としては反省しきりだ。失敗だ。
でも、「申し訳ない。もうこんなことが起きないように、そういう場所には連れて行かないようにするね」というのはちょっと違うとも思っている。

外出先でトイレに困っておもらししないように、お墓参りのときだけオムツを履かせようと思ったこと。

慣れない環境に行って、パニックにならないよう、夏祭りにそもそも行かないこと。

弟や妹と、周囲の目の間に挟まれて苦しまないよう、一緒に行動しないようにすること。

そんな、本人のためなのか、親としての保身なのか分からない、ただただ問題が起きないように、事なかれ主義的なトラブルを回避するためだけの「親の先回り」ってどうなんだろう。

「普通」や「社会」という本当にあるのかどうか分からないものと摩擦が生じ、すり傷ができてしまうかもしれない。一人ひとりの成長のスピードや度合いとチャレンジが合わずに、転んですりむいてしまうかもしれない。

それでも、外に向かってヒライテいくこと、トライしてみること、失敗や反省を繰り返していくこと。そして、障がいの有無や成長の速度の違いを認めつつ、「信じ、待つこと」

「多様性」という言葉と理解が急速に社会に浸透しつつある中において、難しいかもしれないけど、これから言葉だけでなく、「多様性」ある社会によりしていくためには、

「ヒラカレていること」
「失敗と反省とチャレンジを許容し、繰り返すこと」
「認知症の人/自閉症児と一部の属性でくくらないこと」
そして、「一人ひとりに向き合い、違いを認め、信じ待つこと」

それを概念で捉えるだけでなく、日々の暮らしの中で実践していくことなのかもなと、2023年に我が家に起きた夏の出来事を振り返りつつ、世界自閉症啓発デーに寄せて、思ってみました。

そして、これってきっと、子どもや障がいや自閉症に限った話ではないんだと思うんです。ヒラク、向き合う、くくらない、信じ待つこと。折しも新年度。新たなスタートの時期に改めて大事にしたいと思います。


世界自閉症啓発デー2024 リーフレット



これまでの我が自閉症児にまつわるnoteはこちら↓
よろしければ、あわせてお読みいただけると嬉しいです。

1.周囲に「開いていこう」と思ったはじめの一歩目の話


2.三男が家から行方不明になった騒動の話


3.三男が11歳にしてトイレができた話


お読みいただきありがとうございました。
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2024年は年間50本投稿を目指します。 6本目/50

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