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「みんなのため」という凶器。

どうも。いかたこです。

中学校で社会科の教員をしています。

今回は、私が自分の中で禁止している「みんなのため」という言葉について語ってみたいと思います。

私は「みんなのため」という言葉が苦手です。

平和な社会の形成者を育てる教員が、何を言ってんだって話ですよね・・・。

もちろん、自分勝手に行動することを良しとしているのではなく、相手のことを思い、他人のために行動することは大切だと思います。

One for All, All for one.

ですが、「みんなのため」という言葉は、時として凶器になり得ると思っています。

みんなのために努力しているのに応えてくれない。

みんなのために頑張ったのに褒めてくれない。

みんな分かってくれない。みんなが悪い。

「みんなのため」という言葉を使うとき、このような思考に陥っていることが多いような気がします。

あくまで私の経験上の話ですが・・・

「みんなのため」という言葉は、簡単に自分を被害者に、他人を加害者にしてしまいます。


学校では多くの先生方がそれぞれの工夫を凝らして、いろいろな実践を行っています。

私も、こうやったらもっと分かりやすいとか、もっと楽しめるとかギリギリまで考えて授業をしています。

ですが、頑張って準備をしても、生徒の反応が良くないこともあります。

先日のFIFAワールドカップ、日本対スペインの試合があった後の授業は、本当にみんな眠たそうでした。

そんなときに、「みんなのために授業しているのに、何でそんなにやる気がないんだ!」って思うのは少し違うような気がします。

今日は楽しませることができなかったなぁ・・・。次はどうやったらおもしろい授業ができるだろう?

自分のためにも、生徒のためにもこんな感じに考えた方がいいのかなって思います。


例えば、観てくれる人が楽しんでくれるようにたくさん工夫して、時間をかけて映画を制作したとします。

でも、あまり話題にならず、観客動員数が伸びなかったとします。

そのときに、「皆さんのために作ったのに、どうして観に来てくれないんですか!」なんて言わないですよね。


自分がつくった授業で、生徒たちが楽しんでくれることは、私にとってとてもうれしいことです。

もちろん、生徒の学びを深めるために、工夫して授業をつくっています。

ですが、もっと広い視点で見てみると、自分のために、生徒のためになることをしているんだと思います。


教員は、生徒に期待をする職業です。

こんな力を身につけてほしい、こんなふうに成長してほしい。

だからこそ、みんなのためにこんなことをやってみよう。

でも、時としてその期待が生徒への不満に変わってしまいます。

「みんなのため」に頑張るとしてしまうと、結果が伴わないときに、生徒のせいにしてしまい、やる気がなくなってしまいます。

もしくは、「みんなのため」に尽くしきれなかったと、過度に自分を責めてしまいます。

「自分のため」と認識することで、次も頑張ろうと思えるのかなと思います。

こんなことを書いておきながら、私も「みんなのため」を捨てきれない部分がまだまだありますが・・・なかなか難しいです。

今回はここまで。では、また。

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