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折々のことば、理解できる人?

朝日新聞朝刊一面の「折々のことば」。

鷲田清一氏(哲学)が担当している。

毎回さまざまな言葉が引用されている。

それに著名な哲学者による、深くて有り難い解説が付される…

と言いたいところだが、少なくとも最近の記事は、よく読むとおかしい。


前半と後半のつながりが不明瞭だったり、締めくくりの一文が唐突だったりする。

たとえば今日、7月9日の記事ではドミニク・チェン氏の言葉が紹介されている。

「面白いなと感じるのは、僕が想定したことが良い感じに誤読されたときなんです」

そこから鷲田氏は、誤読や齟齬による「気づき」の話へと展開する。

そして、「心ときめくチャレンジは、敷かれたレールの上では生まれない」と締めくくる。

この一文だけ読めば確かにその通りだと思えるが、なぜ急に「心ときめくチャレンジ」の話になったのか疑問が残る。引用元の全文を読めば分かるのかもしれないが。


また、先月29日の沖縄の運動や思想についての記事。

沖縄の運動は参加の理由を問われず、脱落しても責められず、「逃亡を許す」雰囲気があるという。

そこから急に、参加者たちのトイレや飯や睡眠といった身体への配慮が重んじられる話になる。

そして、そうした配慮を「鎧のような思想の言葉」より優先するから、沖縄の平和運動は長続きするのだと締めくくられる。

逃亡OKの話から、トイレ・飯・睡眠と来て、鎧やら平和やら出てくる。一読しただけでは脈絡が分かりづらい。


ただし、これは比較的簡単なほうだ。

おそらく、観念的・教条的な思想やスローガンよりも、具体的個人の現実こそが社会運動の基盤・本質であると言いたいのだろう。

そう考えると、逃亡・トイレ・飯・睡眠は、具体的個人の現実の例だと読める。

「鎧のような思想の言葉」すなわち観念的・教条的な思想やスローガンは、参加者を支配し束縛するので、そのうち嫌気がさしてしまうわけだ。


他にも、私には脈絡が読み取れなかった記事がたくさんある。

「折々のことば」は、老哲学者から私たちへの挑戦状なのかもしれない。

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