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偉大な哲学の条件

ペスタロッチの「隠者の夕暮」を読んでいる。

興味深いが、彼がその影響下があるルソーの『エミール』ほどではない――少なくとも私にとっては。

では偉大な哲学と、そこまでではないものの違いは何か。


それはおそらく、「もっと早く出会いたかった」と思うような言葉を含んでいるかどうかだ。

『エミール』では、やはり「サヴォワ人助任司祭の信仰告白」が白眉である。

また、サルトルの『実存主義とは何か』もそうした本の一つだ。


『実存主義…』において重要なのは、「世界をどう見るか」という話ではない。

むしろ、「世界が私を見ている」という事実の発見なのだ。

その上で「どう行動するか」、それが問われている。


キリスト教の福音書は、信者にとっては「神が私を見ている」ことを感じさせる本だ。

しかし信者でなくとも、読む者を包容し内省を促す力がある。

自分の悩みや孤独が予見されていたかのような感覚、これもまた「世界が私を見ている」という事実の証である。


偉大な哲学の条件は、「もっと早く出会いたかった」言葉、そして「世界が私を見ている」ことの発見にほかならない。

「隠者の夕暮」は、まだ幾頁か残っているので、期待を胸に読み進めたい。



写真は、リトアニアにあるサルトル像

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