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名作が名作たりうるのは観客のおかげ『ニューシネマパラダイス』

やあ、僕だよ。
昔、レンタルで映画を選ぶ時、基準はパッケージの情報だけだった。
ネタバレのないまともなレビューを探すのに一苦労だったし、そもそも出先のガラケー端末で見られるサイトも限られてたからね。

それに僕が好きな映画は、2000年から2005年にかけての比較的派手なエンタメ映画ばかりだったから、1960年代や70年代らしき映画はハナから選ばなかったのもある。

何が言いたいかというと、名作はたりうる所以が必ずあるってこと。

今回の一本はそんな、ごく当たり前に確信を得た作品だったように思う。ポケモンの合間に観られてよかった。
あと、名作の条件についても書いていこうと思うよ。

さあ、始めようか。
今日も楽しんでくれると嬉しいな。

本作あらすじと感想

映画をそれなりに観ていると一度、二度、三度とさまざまな角度で出会う、名作中の名作。
今回は例の、『水曜どうでしょう』内で大泉洋が作品名を口にしたことで四度目の邂逅となり、ついに観念した(イタリアのイメージはこの映画しかないと彼は発言していた。多分前に同じシーズンを観た時も「そういえば観たことないんだよな」って思ったのを記憶している)。

とにかく、超良い映画だった。
映画が好きであればあるほど、これ観てないのは損してるから絶対観た方がいい。
『ニューシネマパラダイス』を観る前の僕と観た後の僕はエンタメの見方が違ってるもの。
大切だからもう一度言うけれど、映画好きなら絶対観て。

逆に「なんとなく映画を観てるけど好きかどうか分からない」って人にもおすすめ。
これが面白くないなら、多分君は映画が好きなのではなく、別の理由で観てるんだろうな。その理由は分からないけれど。

内容としては、少年「トト」が故郷で「映画」にまつわる様々な体験をしながら、やがて旅立ち、そして故郷を懐かしむ話である。  

地上波のテレビでよく耳にするBGMの元ネタとしても有名な本作。
「トト」と「アルフレード」が自転車に乗ってるシーンで流れてきた時に「これが例のBGMか!」と感動すらする。

このBGMが本当によく出来ていて、とりあえずこれが流れたら「今トトは幸せな気分なんだ」と観客が共感しやすい。
1960年代の映画なのにすごいと思って観てたんだけど、よくよく考えたら冒頭に90年代っぽいシーンがあったんだよ。 
それで調べてみたら1988年の映画だった。80年代後半といえば『スタンド・バイ・ミー』、『ダイ・ハード』、『ランボー』云々とそうそうたる名作揃いの時期である。

なんで僕は1960年代映画だと思って観なかったんだ!バカ!!

「トト」は幼い頃から映写室に入り浸りの生活をしている。
そのため、ちょくちょく映画館の観客のシーンがさし挟まれ、エンタメを消費する人たちは今も昔も変わらないのが分かってとても良い。

そんな観客たちを、喜劇王「トト」の名で呼ばれる少年が映写室から眺めるのだ。

観終わった後、インコとモモンガしかいない家で「めちゃくちゃいい映画じゃねーか!」と思わずツッコんでしまったくらいだ。

そして悔しいことに、僕は同じ監督の『マレーナ』を2度観ている。
少年の痛ましい成長と悪魔みたいに綺麗な未亡人が、シチリア島を舞台に暴力的なまでの美しさで描かれているえっちな映画だが、本作もシチリア島の架空の村が舞台だという。

『マレーナ』は濃い色彩のシチリア島だったけれど、こっちの映画は淡い色彩って感じ。
監督の郷土愛たるや凄まじい。こういうの、とっても好きです。

ちなみに『海の上のピアニスト』にも遭遇していたし、なんならウォッチリストにも入れていた(多分ティムロスが観たかったんだと思う)。

だからなんで僕今まで観てなかったんだよバカ!!!

エンタメを消費する人たち

食べる人。
タバコ吸う人。
セックスしてる人。
仕事終わりの人。
眠りに来てる人。
授乳してる人。
両親に挟まれた子ども。

映画館代わりの礼拝堂で白黒映画を楽しむ人々。
色んな事情を抱え、共通点など人間だという以外ないような人達だ。

それでも彼らは同じ映画を見て、同じシーンで涙し、キスシーンで皆歓声を上げる。
今まで何一つ同じ経験をしてこなかった人達がその瞬間、感動を持ち寄って共有しているようにも見える。

彼らは何も創っていないどころか、ただ消費しているだけだ。 
なのに、とても神聖に感じるのはそこが礼拝堂だからというわけではないだろう。

名作が生まれにくい

現代では商業化されている創作物も、されていない創作物も、オンラインで無限に供給される。
全部消費しきるのが不可能な僕らは、おのずと取捨選択をし、「ハズレ」を引かない選び方をしてしまう。

実に嘆かわしい。
テクノロジーの進化に人間が追いついていない典型である。

見てくれや思い込みで「ハズレ」と判断した作品の中に、一体どれだけの名作が紛れ込んでいるのか。
そして、どれだけの人がそれを見逃しているのか。
名作らしい名作が年々少なくなってきているのは、僕らが「ハズレ」だと避けてる作品にこそ、名作になりうるものが隠れているからなのではないか。

憤りが抑えられない。
僕はまったくエンタメに向き合えてなかったのだ、唯一無二の趣味だというのに。

名作ってなんなのさ

タレブさん、ショーペンハウアーさん曰く、「名著と呼ばれる本に古典が多いのは、古典であるがゆえに時間をかけた精査に耐えられた証があるから」だそうだけれど、生まれたての作品を名作にしうるのは僕らとも言える。

つまり、名作の条件とは「僕らが見つける」ことなのだ。

有り体に言ってしまえば、誰にも認知されない「創作物」は「創作物」ではない。
誰も読まない物語は物語と言えないし、誰も見ないアートはアートたり得ない。

僕はこの後に「認知するのは作者でもいい」と続けているのだけれど、名作はそれでは不足で、「僕らが見つけ」て評価し、その評価が他の人に何らかの形で伝播し、また誰かが「見つける」。

それを繰り返していく内に時間をやりすごし、創作物は名作になっていく。
ごく当たり前の不変の法則だが、消費する僕らはすぐに忘れてしまう。

執拗に非難する暇はない

そうやって真剣に好きを探していると、気に入らないだのムカつくだの、声に出す暇すらない。
時間がいくらあっても足りない。世の中名作になりうるものがありすぎる。

そりゃ僕だって「ハズレ」だなって思うものもあるけれど、大抵は体調とかその日の気分のせいなんだよ。
気まぐれにもう一度観たり読んだりしたら感じ方が違うなんてすごいあるもの。

何にせよ、「1960年代の映画はちょっとなぁ」なんて思っていた僕は本当に愚かだったという話。
(しかも1988年の映画だったというオチまでついちゃってさ!)



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