君は何を受け取り、そして返すのか『蜜蜂と遠雷』
やあ、僕だよ。
昨日は大学時代の友だちに会いに行ってくたくたになった(楽しいの振れ幅が大きいとつい虚弱体質を忘れてしまう)から、兎田ぺこら氏の配信を観た後早々に寝落ちしたのだよね。
起きたら深夜1時。21時前後に寝入ったので4時間寝ていたみたい。
そりゃ、頭が冴えわたってるわけだ。
朝早い夫を起こさぬように、今宵もヨフカシナイトフィーバー開催!と意気込んで暖かい飲み物とおやつを用意したのだけれど、読了した後の心身の摩耗が強烈な眠気を起こして驚いた。
今日の一冊は前半と後半で全く消費カロリーが違う一冊。
最近ヘビーな本ばかり当たって参っちゃう。これ書き終わったら可愛い女の子に癒されに行こうって決めてるよ。
さあ、始めようか。君が楽しんでくれると嬉しいな。
本作あらすじと感想
様々な種類の「天才」がひしめく「芳ヶ江国際コンクール」。
コンクールが進むごとに、消えた天才少女「亜夜」、ジュリアードの王子様「マサル」、生活者の音楽を貫く「明石」、そしてギフトにも災厄にもなり得る本物「風間塵」の人生が交差する。
それぞれがそれぞれから与え、返され、取り出し、受け取り、周囲も影響を受けていく。そうして少しだけ、世界が変わる話。
これだけでもう、読みたいワクワクが止まらない。設定からして率直で絶対面白いのが分かる。
恩田陸氏の著作は『常野物語』シリーズを3冊と『六番目の小夜子』を持っていて、眼前に映像が広がるような平易で普遍的作品を書く人、というのが僕の評価である(つまり大好きってこと)。
カンヌ受賞作品と芥川賞作品はエンタメとして信用していないが、アカデミー賞作品と直木賞作品は信用における。あくまでも僕に限って言えば、だけれど。
だから今の時代の上等なエンタメ(なるべく新しいもの)を摂取したい場合はこの辺りから選ぶようにしていて、そもそも好きな作家でもあるし、今回も外れるわけない出来レースであった。
しかしながら、前半と後半の落差がものすごかった。
特にシナリオの速度が加速する後半が壮絶だ。僕は飲まれてしまって、ただ茫然としているしかなかった。
でも何よりものすごいのは、こんなに壮絶なのに世界がほんの少ししか変わらなかった印象だったこと。
天才がいようがいまいが、世界にとっては些末。
僕がこの本から受け取ったのはそんな月並み(それでいて絶対)な事実だった。君はこれを読んで何を受け取るのだろうね。
世界の解釈の仕方
僕らが生きている現実を「世界」として捉えた時、僕はこの現実に存在する「創作物」はすべて「世界」の二次創作だと思う。
今回の音楽しかり、読み物しかり、観る物しかり、アートしかり、数式しかり、料理しかり、それぞれが「世界」から受け取ったものを解釈するための道具にしかすぎない。
「世界」を切り取りあるいは眺め、触り、聞き、口に入れてねぶる。
それぞれがそれぞれの方法を使って「世界」へアクセスし、受け取った(現実に生きて感じた)ものを解釈し、道具を使って「世界」へ返す。
この文を読んだ時、僕は鳥肌が立った。
解釈まるごと一致というわけにはいかないが、それでも無数に存在する作品を受け取っている最中にこうもぴたりとそのまま受け取れることはそうない。
これは恩田陸氏の「世界」の解釈の仕方と返し方が尋常じゃなく上手いのだ。
贈り物は誰が受け取るのか
みたいな話があって、凡そ「悪口を言われた時どうするのか」という生きづらさを抱える大人向けの書籍にありがちな問答例なんだけれど、僕はこれを拡大解釈して、前述した「世界」へ返したもの―「創作物」—にも当てはまると思っている。
つまり、「世界」自体に認識されなければ返したことにならないと僕は思っているのだ。
繰り返すが、「世界」とは現実だ。
今存在している生き物、進みゆく時間、営み、ありとあらゆる知覚できるすべて。
現実はごくごく身近でしかしアクセスするにはとんでもない情報量で、それが「世界」だと僕は認識している。
残念ながら「創作物」は多くの場合、「人間」向けのものばかりでそれ以外の生命や自然から認識されるにはまだまだ時間がかかるだろう(可能であると証明できるかどうかは別として)。
となると、手っ取り早く認識してくれそうな「世界」は「人間」だと言えそうだ。
その誰かは君自身でもいい
有り体に言ってしまえば、誰にも認知されない「創作物」は「創作物」ではない。
誰も読まない物語は物語と言えないし、誰も見ないアートはアートたり得ない。
結局露出や人気のあるものがいいのかよ、となりそうだが、それは半分正解で半分誤りだ。
確かに今回取り上げた作品は僕にとっても、多くの読む人たちにとっても、直木賞の審査員にとっても、認知しやすい「贈り物」だった。
しかし、何も別の誰かでなくてもいい。
君自身だって今、この瞬間生きている人間なのだから、君こそが「世界」とも言えるんじゃないかな。
であれば、「創作物」を「創作物」たらしめるのは、作った君がそれを「贈り物」だと認識した時だ。
君は何を受け取るのだろう、そしてまた君は「世界」へ何を返すのだろう。
何が言いたいかというと、「自分が産んだもののファンであれ」と怠惰な消費者は心から願っているわけさ
原神やFF14もそうだけれど、作った自分たちが一番面白いって思っているのがひしひしと伝わってくる(名作ゲームのスタッフトレーラーにありがち)。
人間は他の動物に比べると共感能力の高い(共通言語が多いし脆弱だから)生き物なので、面白そうにされると面白いかもって思っちゃうのだ。
noteを書き始めたのは、「無職の膨大な時間を使ってエンタメを毎日消費していたらいつか消費するものなくなっちゃうんじゃないかという恐怖も一因」だなんだと見当違いな心配をしていたが、突然石油を掘り当てて大富豪になったとしても、世の中のエンタメを消費しきるのは無理だとようやく理解した。
むしろ最近は多すぎる、とまで感じるようになった。
だからこそ面白いものを手短に消費したい。実に怠惰で傲慢な願い。
だが、それが出来るのが今の時代、今の「世界」だと僕は思うのである。
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