師子堂日寅(シシドウ ヒュウガ)

霊視鑑定士をしております師子堂日寅(シシドウ ヒュウガ)と申します。霊視鑑定を主体とし…

師子堂日寅(シシドウ ヒュウガ)

霊視鑑定士をしております師子堂日寅(シシドウ ヒュウガ)と申します。霊視鑑定を主体とした占術でお相手を導きます。  自身のスピリチュアルへの考え、神様や霊のお話、哲学・宗教・歴史などの記事を書いております。 https://lin.ee/BAB3LZg ↑公式アカウント

最近の記事

師子堂日寅の気まぐれインド哲学 第23回ヒンドゥーの神々②

 さぁ、続いてはヴィシュヌとクリシュナの解説に移りたいと思います。特にヴィシュヌは大変文量も多いため、目次からかいつまんで読んでくださっても構いません。  では今回もお付き合いくださいませ。 3.ヴィシュヌ 1)ヴィシュヌの起源 ヴィシュヌは、シヴァと並ぶヒンドゥー教の最高神です。ヴェーダに起源をもつ神で、すでに『リグ・ヴェーダ』に現れますがヴィシュヌに捧げられる讃歌はわずかで6篇しかなく、ヴェーダの神々の中では控えめな存在です。  後代のヒンドゥー教におけるヴィシ

    • 師子堂日寅の気まぐれインド哲学 第22回 ヒンドゥー教の神々①

       だいぶ期間が空いてしまいましたが終盤に差し掛かっていたインド哲学のコーナーを再開したいと思います。しばしお付き合いください。 1.ブラフマー(梵天)   ヒンドゥー教の神々といえば、まず筆頭に上げられるのがヴィシュヌとシヴァでありますが盛んに信仰された年代の古さを考慮して最初にブラフマー(梵天)を紹介しましょう。  ブラフマー(梵天)は、ブラーフマナ文献やウパニシャッドに説かれる宇宙の最高原理ブラフマンに由来する神です。  ブラフマンは、祭式を万能とみなしたブラーフマ

      • 日虎の気まぐれインド哲学 第21回 ヒンドゥー教編②

        ヴェーダの宗教とヒンドゥー教 1.神々の交代 インドラ・ヴァルナ・アグニからヴィシュヌ・シヴァへ  ヴェーダの宗教とヒンドゥー教は全く別のものとはいえませんが明らかに異なります。信仰の対象となる神々、信仰の形態には両者の違いが指摘されます。  ヴェーダの宗教では、インドラ、ヴァルナ、アグニが主要な神であるが、ヒンドゥー教では、ヴェーダにおいては脇役であったシヴァ(暴風神ルドラ)、ヴィシュヌ、あるいはヴェーダではなく英雄叙事詩に現れるラーマ、クリシュナなどが主要な神とし

        • 日虎の気まぐれインド哲学 第20回 ヒンドゥー教

           ゴータマ・シッダールタにより生まれた仏教はインドでは衰退の一途を辿り、世界方面へその教えは伝承されていきました。そこで生まれたのがヒンドゥー教です。  今回からは数回にわたってヒンドゥー教のお話をしていきたいと思います。 【ヒンドゥー教とは何か】 ヒンドゥー教は、現代インドの大多数の人が信仰する宗教です。Britannicaの2009年統計によれば、人口14億1700万のインド人の82.64%がヒンドゥー教を信仰していることになります。この割合は、1990年の82.

        師子堂日寅の気まぐれインド哲学 第23回ヒンドゥーの神々②

          日虎の気まぐれインド哲学 第19回大乗仏教③

           皆さんこんにちわ!今日で大乗仏教のセッションも最後になり、仏教はインドを飛び越えて東南アジア、中国、チベット、そして日本へと幅を広げてまいります。  では、今回もしばしお付き合いください! 【如来蔵思想】  衆生が皆、如来を胎内に宿しているということにあります。如来すなわち仏になる可能性は仏性(ぶっしょう)ともいわれるが、それがすべての生きものにそなわっているという教えであります(一切衆生、悉有仏性)。 この如来蔵あるいは仏性を所有することが、あらゆる生きものがいつ

          日虎の気まぐれインド哲学 第19回大乗仏教③

          日虎の気まぐれインド哲学 第18回 大乗仏教②

          1.華厳経 大乗仏教では信仰の対象となるブッダに関する考察が進み、ブッダの現れ方を応身(おうじん)・報身(ほうじん)・法身(ほっしん)の三種に分けて考える三身(さんじん)説が現れます。  「応身仏」とは、歴史的に存在したブッダ、すなわち衆生の救済のために身体をもって現れた仏です。  「報身仏」とは、阿弥陀仏、薬師如来など、悟りの果報として現れた完全円満な永遠の存在であります。  「法身仏」とは仏の本体はその教え、すなわち仏法にあるとして、これが人格化された仏です。

          日虎の気まぐれインド哲学 第18回 大乗仏教②

          日虎の気まぐれインド哲学 第17回 大乗仏教①

           古代インドのヴェーダ思想から始まり、ついに大乗仏教の時代まで話は進みます。今回からは大乗仏教に関して大まかに説明をしていきたいと思います。 1.大乗仏教の成り立ち 西暦紀元の前後、西方でイエスの愛の宗教が生まれたのと同じ頃、インドにおいては慈悲を強調する大乗仏教が生まれました。 当時、部派仏教は学問的、哲学的な傾斜を強めていました。しかし、このような傾向に対抗して仏塔(ストゥーパ)を崇拝する在家信者のあいだに熱烈な宗教運動が起こり、かれらはブッダへの信仰による救

          日虎の気まぐれインド哲学 第17回 大乗仏教①

          ちょっと一息

          こんにちわ。 霊視カウンセラーをしております日虎(ヒュウガ)と申します。 普段は霊視鑑定を主体として活動している占い師です^ ^  最近はインド哲学の連載を始めてヴェーダ思想から時代は下り、大乗仏教に差し掛かろうとしています。どこまで書こうかはまだ考え中ですが、もう少し長文の記事が並ぶことどうかご容赦ください(笑)  それが終わりましたら連載系だけでなく自分の考えを述べたりする記事も増やしていくつもりです。  どうか今後ともよろしくお願いたします。

          日虎の気まぐれインド哲学第16回 インド仏教の発展と部派仏教

          【1.部派仏教とアビダルマ哲学の成立】  ブッダの入滅後100年ころ、教団は律の解釈をめぐって、保守派の上座部と進歩派の大衆部に分裂しました。その後さらに分裂をかさね、成立した部派の数は18あるいは20と伝えられています。 各部派は、自派の教理にもとづいて聖典を編纂しなおし、独自の解釈を立てて論書を生み出しました。それらはアビダルマといわれます。  そして、これを集めたものが論蔵(アビダルマ蔵)で、ここに経蔵・律蔵とあわせて三蔵が成立しました。  しかし、多くの部派のアビ

          日虎の気まぐれインド哲学第16回 インド仏教の発展と部派仏教

          日虎の気まぐれインド哲学 第15回 原始仏典の教理②

          【縁起(十二支縁起)】  仏教の根本教義は、縁起説です。原始仏典の古い層には、一定の形式をもった縁起説は現れません。苦しみを生み出す因果の系列について、さまざまな項目を立てた説が現れます。しかし、漠然とした縁起説は徐々に整備されていき、形式化されました。そして、完成されたのが十二の項目からなる十二支縁起(十二因縁)の説で、古来仏教の根本教義として尊重されてきたものです。  十二の項目とは、①根源的な無知(無明)、②生活行為(行)、③認識作用(識)、 ④心と物(名色)、⑤六

          日虎の気まぐれインド哲学 第15回 原始仏典の教理②

          日虎の気まぐれインド哲学 第14回 原始仏教の教理①

             ブッダに帰依する人々が集まり、僧団が形成され、それが発展するとともにブッダの教えは、急速に整備され、体系化されていきました。そして、三宝・三法印・縁起・四諦八正道などのまとまりのある説が成立していきます。 【無記】  原始仏教が思想を構築していく上でとった基本的な立場は無記です。  「無記」とは、形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守ることであります。(数学の答案用紙や、好みの議員がいなかった時の投票用紙のこのではありません)  無用な論争の弊害からのがれ、

          日虎の気まぐれインド哲学 第14回 原始仏教の教理①

          日虎の気まぐれインド哲学第13回 最古層の経典の思想②

           今回も引き続き、仏教最古層における経典の思想を語ってまいります。しばしお付き合いください。 ●欲望と智慧(欲望を制するもの)  欲望(kaama)が苦しみの原因であるという考え方は、ブッダ当時のインドの通念であったといって良いでしょう。『スッタニパータ』第四章は、「欲望」と名づけられた経(kaamasutta)ではじまります。  では欲望を制するものは何か。ブッダは欲望を制するものとして智慧を重視します。この立場は、当時勢いのあった苦行主義と対照的に異なります。後者は

          日虎の気まぐれインド哲学第13回 最古層の経典の思想②

          日虎の気まぐれインド哲学 第12回 最古層の経典の思想①

          ⚫︎苦しみから安らぎへ 世の中には自分の思い通りにならないことが多い。苦しみに満ちています。ブッダは、この世の苦しみから脱することを望み、悟りを得て、解脱しました。  この自らの体験をもとに、苦しみから安らぎへいたる道を人々に示すこと、これがブッダの目指したことでした。  ブッダは、体系的な理論を説いたわけではありません。説く相手に応じて説き方を変えたといわれる(仏の対機説法)。最古層の経典には、その特徴がよく現れています。そこには新しい層にみられるような整備された教理

          日虎の気まぐれインド哲学 第12回 最古層の経典の思想①

          日虎の気まぐれインド哲学第11回 原始仏典の章 ブッダ(釈尊)とその資料

           今回からはインド哲学から生まれた宗派の中では最大規模にして今日に至るまで東洋の国々の倫理観、道徳観に多大な影響を及ぼし続けている仏教についての話を始めたいと思います。そして、今回はその仏教の開祖ブッダの話をします。 ⚫︎ブッダ(釈尊) 仏教とは、仏すなわちブッダ(Buddha)の教えです。漢字で「仏」の字をあてるのはブッダの音写です。日本でこれを「ほとけ」と読むのは、中国での初期の音写ブト(浮図や浮屠の字をあてる)が日本へ入って「ふと」から「ほと」になまり、これに「

          日虎の気まぐれインド哲学第11回 原始仏典の章 ブッダ(釈尊)とその資料

          日虎の気まぐれインド哲学第10回 ジャイナ教

          さぁ、自由思想家たちの中でもとりわけ有名な方々の紹介です。 そうです、現在でも脈々と信者を保つジャイナ教という宗派です。今回はジャイナ教についての解説を行っていきます。 ⚫︎ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)のジャイナ教   ジャイナ教は、ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)によるニガンタ派の改革から生まれた教団です。ニガンタ派は、伝説によればマハーヴィーラの200年から250年前の人とされるパーサ(パールシュヴァ)が開いた宗教といわれています。  ジャイ

          日虎の気まぐれインド哲学第10回 ジャイナ教

          日虎の気まぐれインド哲学 第9回 自由思想家(沙門)たち②

          こんにちわ。 今回も前回に引き続き、古代インドにおいて活躍した自由思想家たちのお話をしたいと思います。 古代ギリシアにおいてもそうであったが、哲学は有能な智者1人が打ち立てるものではなくたくさんの智者が互いの論理をぶつけ合って研磨していく過程の中で高尚な論理を生み出していきました。 ⚫︎アジタ・ケーサカンバリンの唯物論  アジタ・ケーサカンバリンの「ケーサカンバリン」は「髪の毛で作った衣を着る者」の意味です。アジタは、教団を開きましたがそれは、古代ギリシアにおけるエピクロ

          日虎の気まぐれインド哲学 第9回 自由思想家(沙門)たち②