日虎の気まぐれインド哲学第13回 最古層の経典の思想②
今回も引き続き、仏教最古層における経典の思想を語ってまいります。しばしお付き合いください。
●欲望と智慧(欲望を制するもの)
欲望(kaama)が苦しみの原因であるという考え方は、ブッダ当時のインドの通念であったといって良いでしょう。『スッタニパータ』第四章は、「欲望」と名づけられた経(kaamasutta)ではじまります。
では欲望を制するものは何か。ブッダは欲望を制するものとして智慧を重視します。この立場は、当時勢いのあった苦行主義と対照的に異なります。後者は、欲望と欲望にもとづいて行われた行為の結果(業)を心についた物質的な垢とみなし、肉体的苦痛を耐えることから生ずる熱力によって、それを払い落とそうとします。これに対し、ブッダは欲望を心の働きとみなし、苦行ではなく、真理を悟る智慧によって、欲望は制することができると説きます。
●実践・努力--自力主義
ブッダの教えは、「真理を悟ること」による安らぎを究極の目的としています。そのために智慧が重視され追求されました。しかし、それは単に知識を獲得すればよいということではありません。知識があるだけでは聖者といわれません。
悟りは宗教的な体験です。それは真理を「理解すること」ではあっても、「分別によって概念的に理解すること」ではありません。
智慧は分別による知ではありません。体験されるべきものです。教えにそった行いを通じて、安らぎという理想の体験に向かって努力することが求められるのでく。
ブッダの基本姿勢は自力主義であります。
世俗の生活を離れ、みずから安らぎを求めて努力することが理想とされる。
●実践のための徳目ーー無執着
安らぎへいたる正しい生活を送るためにどのような心をもち、どのように行動すべきかが具体的に説かれます。たとえば、名声・財産・食物・衣服・異性などに対する禁欲、あるいは嘘・怠惰・怒り・後悔など心を汚す行いを避けることなどでありますが、これらを集約するものとして強調されるのが、「執着するな」ということです。
執着は苦しみの主要な原因と考えられました。
執着とは「わがもの」という観念をもち、それにこだわることです。したがって、どんなものについても、「わがもの」という観念をもつことが否定される。
●論争を避けること
執着してはならないということは、自分の見解・信条についても求められます。
理想として追求されるべき安らぎについてすら、こだわってはならないとされる。
したがって、自説にこだわり論争することは避けよ、と説かれます。これについては、当時のインドの思想状況とかかわりがあります。
どのようにすればこの世の苦しみから解放されるか。この問題意識はブッダと同時代のインドの思想家たちに共有されていました。
そのため、ブッダの他にも多くの思想家が教理を立てました。その際にはさまざまな説が唱えられ、その違いから活発な論争が行われました。
論争では、安らぎを得るための智慧の追求が、論敵に勝つための理論の追求に変わります。しかも、日常経験の範囲を越えた形而上学的な問題が扱われます。それらは経験によって確かめられません。肯定・否定の両論がならびたち、決着はつくことはありませでした。
論争は、論争のための論争に陥ります。ブッダはこれを無用と考えました。論争を避けることは随所に説かれます。
あらゆる立場への無執着が強調され、極端説だけでなく、中間にもとらわれないことが説かれます。
●安らぎ(涅槃、彼岸)
この世の苦しみを脱して到達される安らぎは、「涅槃」といわれます。仏教の究極の目的でもあります。涅槃は、nibbānaの音訳です。
nibbānaは「消滅」を意味し、欲望を火にたとえて、涅槃は火の吹き消された状態として表現されます(Sn.1074.)。また、欲望が激流にたとえられ、涅槃はそれを越え渡ったところであるから、「彼岸」(pāram)ともいわれます。『スッタニパータ』第 5章は「彼岸にいたる道の章(pārāyanavagga)」と名づけられている。
涅槃は、後には死と結びつけられますが、はじめは現世において得られるものとされていました。
我々は生きていると様々な困難な試練に遭遇します。その中で自身の命すら投げ出したくなることもあるでしょう。
なぜなら私たちが生きているこの世は地獄だからです。あらゆる欲望や執着が渦巻く魑魅魍魎が跋扈する世界です。その中でブッダの教えはこの地獄に一つの光明を授けたと言えます。
そして、「死」は我々の何よりの恐怖であり、あらゆる苦悩の根源になります。それらを超越する状態「涅槃」の境地に達するためには、あらゆる執着を捨て去ることことが必要だと説かれたのです。
涅槃に入る者の心は静かで安らかです。それらを送り出すものの涙に反して、涅槃に入る者の心は静謐に包まれます。
最後に涅槃に際して愛弟子アーナンダに向けてブッダが放った言葉を同志諸君に送って今日の気まぐれインド哲学を終えたいと思います。
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