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日虎の気まぐれインド哲学 第18回 大乗仏教②


1.華厳経


  大乗仏教では信仰の対象となるブッダに関する考察が進み、ブッダの現れ方を応身(おうじん)・報身(ほうじん)・法身(ほっしん)の三種に分けて考える三身(さんじん)説が現れます。

 「応身仏」とは、歴史的に存在したブッダ、すなわち衆生の救済のために身体をもって現れた仏です。

 「報身仏」とは、阿弥陀仏、薬師如来など、悟りの果報として現れた完全円満な永遠の存在であります。

 「法身仏」とは仏の本体はその教え、すなわち仏法にあるとして、これが人格化された仏です。

 『華厳経』では、釈尊が法身である毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)と同化され、あらゆる差別相を有するこの世も、真実には釈尊の成道によって実現した真理の世界(法界、ほっかい)であるとする。

 小さな塵の粒、一本の毛の穴の中にも無数の仏国土があります(一即一切、一切即一)。そのような迷いの世界は、その本性において空であり、そのまま悟りの世界となります。衆生が輪廻する三つの領域(欲界・色界・無色界の三界)の存在は、すべて心から現れるという唯心説を説きます。

 全八会からなるうち、サンスクリット原典が残っているのは、第六会十地品と最後の入法界品だけです。前者は菩薩の修行が深まる段階を10に分けて説き、また後者は善財童子が教えを求めて53人のさまざまな職業の人々をたづね歩く求道の物語となります。

2.法華経


「法華経」は「妙法蓮華経」の略です。サンスクリット本は 27の章からなります。各章の成立は年代が異なり、紀元後 50年から150年にかけて成立したものですが全体として非常に調和のとれたものとなっています。

 巧みに比喩を用いて、文学的に大乗仏教の教理を説かれています。初期大乗仏典を代表するもので、古来多くの人々から高い評価と信仰を集めてきました。

 主な内容としては、大乗と小乗の対立を越えたところに統一的な真理があること(一乗妙法、いちじょうみょうほう)、ブッダが永遠不滅の存在であること(久遠本仏、くおんほんぶつ)、苦難を堪え忍び、慈悲の心をもって、利他の行に励むこと(菩薩行道、ぼさつぎょうどう)が説かれる。

 「一乗妙法」は、『法華経』前半の主題である。もっとも鮮明に現れるのは方便品となります。

 大乗仏教は旧来の仏教を小乗仏教と呼び蔑んだ過去があります。小乗は声聞(しょうもん)縁覚(えんがく)です。声聞は自己の悟りを得ることに専心する。縁覚あるいは独覚は十二縁起を観察してひとりで理法を悟る。かれらは大乗の菩薩のようには慈悲・利他の行を行わないとされたのです。

 しかし、仏教を声聞、縁覚、菩薩の三つの乗り物に分解して説くのは、煩悩にくらまされた衆生たちを救済するための如来たちの巧みな方便であります。
 すなわち、衆生の救済を誓願した如来たちは、さまざまな方便を説きます。たとえば、戒・定・慧、塔の建立、仏像の作成、供養、礼拝、念仏、この教えの名をきくことなどもすべて、衆生が成仏できるように如来の説いた方便ですが、それらのどれによっても、正しい悟りに到達できるとされています。

 悟りにいたる方法が方便としては分けて説かれていても、真実にはブッダの乗り物は、ただ一つで、第二、第三の乗り物があるわけではないということです。この教えはまた「開三顕一」ともいわれております。

 「久遠本仏」とは、如来の寿命が無限であることを説くもので、如来寿量品をはじめとする『法華経』後半の主題である。

 釈尊は入滅したといわれるが、実はそうではありません。無限の過去において悟り、それ以来無数の衆生を教え導き、無限の未来においても存在し続けるのです。
 しかし、入滅したと説かなければ、衆生たちは如来が常にいると思い、如来への思いが薄れていきます。そのようなことがないようにするため、方便として「如来の出現はきわめてまれである」と説き、釈尊は入滅したとされています。

 「菩薩行道」は、『法華経』の中間部、法師品から如来神力品において強調されます。そのうち、常不軽菩薩品には理想の菩薩像が描かれています。

 常不軽(じょうふきょう)菩薩は、すべての人を将来如来になるものとして決して軽蔑しませんでした。そのため逆に人々から軽蔑され迫害されましたが、屈することなく菩薩行を全うします。

 『法華経』に特徴的なことは、『法華経』そのものへの信仰を説く点にあります。たとえば、常不軽菩薩品ではこの経典を奉ずる人には幸福がおとずれ、非難するものには災難がふりかかると説きます。

 法師品や如来神力品では、法華経が受持、あるいは読誦、解説、書写、熟考されたところには塔を立てよといいます。その場所はすべての如来たちの悟りの座とみられるべきで、まさしくそこで如来たちは最上の正しい悟りをひらき、教えの輪を転じ、完全な涅槃に入ったと知られるべきだからです。

 いま自分の立つこの箇所が聖なる菩提の座になるという教えは、古来多くの人の心を打ちました。

 随の時代の中国において、智顗(ちぎ538-597)は、数多くある仏典中で『法華経』を最上に位置づけ、それによって教理体系を統一して、天台宗を開きました。

 平安時代に最澄 (767-822) は入唐して天台宗を日本へ伝え、これを広めるため比叡山延暦寺を建立しました。以来、この経典が日本に及ぼした影響ははかりしれません。

3.無量寿経ーー本願と極楽浄土--

 『無量寿経』は法蔵菩薩が一切の衆生の救済を誓願(本願)し、偉大な菩薩行を行って如来となる経緯を明らかにしています。

 この如来は、無量の威光があるから、アミターバ(無量光、阿弥陀)と呼ばれ、無量の寿命を有するからアミターユス(無量寿)と呼ばれます。
  ついで、阿弥陀仏の西方の仏国土が七宝や黄金にかざられる荘厳な安楽に満ちたありさまが描かれます。この極楽の仏国土に一切の衆生が阿弥陀仏の本願にもとづいて行くことができます。そのためには仏の広大な慈悲を信じ念ずれば、臨終のとき多くの比丘の集団にとりかこまれた阿弥陀仏がその前に立つと説きます。
  阿弥陀仏の仏国土は中国において、「浄土」と呼ばれ、ここから浄土教が生まれて東アジアに大きな影響を与えていったのです。

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