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日虎の気まぐれインド哲学 第14回 原始仏教の教理①

 
 ブッダに帰依する人々が集まり、僧団が形成され、それが発展するとともにブッダの教えは、急速に整備され、体系化されていきました。そして、三宝・三法印・縁起・四諦八正道などのまとまりのある説が成立していきます。

【無記】


 原始仏教が思想を構築していく上でとった基本的な立場は無記です。

 「無記」とは、形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守ることであります。(数学の答案用紙や、好みの議員がいなかった時の投票用紙のこのではありません)
 無用な論争の弊害からのがれ、苦しみからの解放という本来の目的を見失わないためにとられた立場です。

 『マッジマ・ニカーヤ』(中部経典)第63経「小マールンキャ経」は、世界が永遠であるか否か、有限であるか否か、生命と身体は同一のものであるか否か、人は死後存在するか否かという問題について、ブッダが何も語らなかったことを「毒矢のたとえ」によって巧みに表現しています。

 毒矢にいられ、苦しむ人を前にして、医者が、患者の身分、階級、弓の種類、矢の種類などについて知られない間は治療しないとしたら、その人は死ぬ。
 世界が永遠であろうとなかろうと、有限であろうとなかろうと、生命と身体が同一であろうとなかろうと、人が死後存在しようとしまいと、人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。

 

 ブッダは、現実にそれらの苦しみを止滅することを第一義の目的としました。あくまでこの目的を見失うまいとするのが「無記」の立場です。ここには、心の病の医者としてのブッダの側面が如実に現れています。

【中道】

 実践においては「中道」が説かれます。「中道」とは、単に二つの極端な立場の中間をとるというのではなく、二つの極端から離れた自由な立場、矛盾対立を超越している立場を意味します。

 当時のインドには、苦しみから解放されるために、どのような実践方法をとるかについて、さまざまな立場がありました。ローカーヤタ派のように快楽主義に立つ思想もありましたが、大方はいかにして欲望を制御するかに関心がありました。 

 欲望こそが苦しみの原因と考えられたからです。欲望を制御する方法として、古代インドでさかんに行われたのは肉体の苦痛を耐えしのぶ苦行(タパス)です。ブッダも、悟りを得るまでの一時期、苦行を実践したことがあるが、後に苦行の無意味さをさとり、瞑想すなわち禅定の方法を選んだとされます。このことから、ブッダは快楽主義でも苦行主義でもない「中道」をとったといわれます。そして、「中道」が修行者のとるべき道として説かれる。

 「修行僧らよ、出家した者が近づいてはならない二つの極端がある。二つとは何か。一つは、欲望の中にあって、欲楽にふけることで、劣っていて、いやしく、凡愚のすることで、聖なるものでなく、目的にかなうものではない。もう一つは、自分を苦しめることにふけることで、苦しく、聖なるものでなく、目的にかなうものではない。如来は、両極端に近づくことなく、中道を悟った。これは、(真理に対する)眼を生じ、知を生ずるもので、心の平静・神通力・悟り・涅槃へ導く。」

 
 具体的には、中道は八正道であるとされます。八正道についてはまた改めてご説明させていただきます。

【前提となる世界観ーー輪廻・業】


 最古層の詩句には、業・輪廻の思想は明確には現れてきません。しかし、当時一般に広まっていたこの思想は割とすんなりと広まっていきました。
 『スッタニパータ』でも第3章にはそれらが濃厚に現れ、その第10経コーカーリヤには嘘の報いとして落ちる地獄のありさまが詳しく説かれいます。このような思想は仏教の大衆教化に重要な役割を果たしたと思われます。
 このことは仏教説話『ジャータカ』からも推測される。『ジャータカ』は、大衆向けの教訓的な寓話をブッダの前世物語として説くものであるが、ここには業・輪廻の思想が前面に押し出されてきます。

 輪廻の観念を受けて、苦しみからの解放はこの苦しみの生存からの離脱、すなわち輪廻から脱することであると考えられるようになります。そして、悟りを表す表現は次のように定型化されていきました。

「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない」


 ところで、来世について何に生まれ変わるかを決定する原因が何であるかについては、ブッダ時代の一般社会において、さまざまに考えられていました。臨終に際しての意志によるとの考え、あるいは神の意志によるとの考えもありましたが、支配的な考えは、前世における業によるという考えでした。

 ブッダと同時代の自由思想家の中には、プーラナ・カッサパやアジタ・ケーサカンバリンのように、業の因果応報を積極的に否定したものもありました。彼らは善悪の行為が後に安楽と苦しみの果報をもたらすことはないと考えました。またマッカリ・ゴーサーラのように運命論を説く人もいました。さらに、業の因果応報思想の中には、前世での行為(業)を宿命のようにみなす決定論的な考えもありました。
 現世での行いは、善であれ、悪であれ、すべて前世の業によって規定されているというのであります。この説によれば、意志の自発による行為は認められません。

 これらに対し、仏教やジャイナ教は、このような人間の行為の効力を認めない説を行為否定論と呼び、道徳を破壊する説として非難しました。
 仏教は、「世尊は業論者、行為論者、努力論者であった」として、業思想を容認しつつ、行為・努力に生存のあり方を変える効力を認める立場をとりました。
 これらは当時のバラモン階級だけの人だけでなく、そのほかのクシャトリヤ、バイシャ、シュードラの階級であっても努力次第では悟りを開くことが出来るということで大衆化に拍車をかけたのです。

【涅槃】


 業・輪廻の思想によって、涅槃観も変化しました。当初、涅槃は現世において到達されるものと考えられていました。
 しかし、業・輪廻の思想からいえば、涅槃は輪廻からの解脱を意味し、たとえこの世において涅槃に達したとしても、なお前世の業の果報としての身体は消滅していないから、真の意味の「消滅」とはみなされず、死において初めて実現されると考えられるにいたります。
 涅槃はより一層、死と強く結びつけられるようになりました。そして、原始仏教の末期には現世において得られる「心身の残余のある涅槃」(有余依涅槃)と煩悩も身体もまったく消滅した死後の「心身の残余のない涅槃」(無余依涅槃)の二種に分けられるようになりました。

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