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師子堂日寅の気まぐれインド哲学 第22回 ヒンドゥー教の神々①

 だいぶ期間が空いてしまいましたが終盤に差し掛かっていたインド哲学のコーナーを再開したいと思います。しばしお付き合いください。


1.ブラフマー(梵天) 


 ヒンドゥー教の神々といえば、まず筆頭に上げられるのがヴィシュヌとシヴァでありますが盛んに信仰された年代の古さを考慮して最初にブラフマー(梵天)を紹介しましょう。

 ブラフマー(梵天)は、ブラーフマナ文献やウパニシャッドに説かれる宇宙の最高原理ブラフマンに由来する神です。
 ブラフマンは、祭式を万能とみなしたブラーフマナ文献の時代に宇宙の最高原理とされ、さらにはプラジャーパティにとって代わって宇宙万物の創造神としても位置づけられるようになりました。そして、ウパニシャッドにおける梵我一如思想の核を担う原理として尊重されます。このような後期ヴェーダ文献に説かれる宇宙原理ブラフマンが人格神とみなされ崇拝されるようになったのが梵天ブラフマーです。

 ブラフマーは、原始仏典にしばしば言及されています。たとえば、ブッダが悟りを開いた後、自分が悟った内容を人に語らないでおこうと考えていました。ところが、梵天が現れ、生きとしいけるものが苦しむありさまをまざまざとブッダに見せ、これら苦しむもんたちを救うために教えを説くことを要請します。仏伝の「梵天勧請」といわれる有名なくだりです。

 また、原始仏教では「慈しみの心・あわれみの心・喜びの心・平静の心」の四つの心を生きとしいけるものに対して無量に起こすことを勧める「四無量心」が説かれますが、その果報は「梵天の世界に行くこと」とされます。

 梵天に対するこのような言及は、これらの仏伝や経典が作成された時期、梵天が盛んに信仰されていたことを反映するものでしょう。これらとほぼ並行する時代と考えられる、『マハーバーラタ』や『マヌ法典』にも、ブラフマーは創造神として現れます。また、古代ウパニシャッドの中でも中期の成立とされる『ムンダカ・ウパニシャッド』には中性の宇宙原理ブラフマンとともに、人格神ブラフマーが説かます。

「ブラフマーが神々の中の第一位として生まれた。万物の創造者として。世界の守護者として。彼は、ブラフマンの知をあらゆる知の基礎として、長男アタルヴァンに語った。」

ブラフマー



ブラフマーは祭式やヴェーダの学問を司る神で、四つの顔、四本の腕の姿で描かれます。眠るヴィシュヌの臍から生えた蓮華の上に坐るブラフマーの像もよく描かれます。ヒンドゥー教の神々は普通、配偶神を持ちますがブラフマーの妃は、音楽、学問の女神サラスヴァティーです。

 西暦紀元の始まる頃を境として時代が下るにつれてブラフマーはシヴァやヴィシュヌほどの信仰は集めなくなりますが、トリムールティ説によってかろうじて地位を保ちます。
 こうした事情を反映してシヴァやヴィシュヌに多くの逸話が語られるのに対し、ブラフマーにまつわる逸話は少ないのが事実です。
 仏教では護教神として取り入れられ梵天として崇拝されました。

2.トリムールティ 

 トリムールティとは、直訳すれば「三つ(トリ)の形態、あるいは姿(ムールティ)」の意味です。ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三神は本来は一体ですが三つの姿で現れるというのです。
 このように神々を融和させることは、ヒンドゥー教が異なる宗派に対して、排除ではなく許容する態度をとったことをよく示しています。


左:ブラフマー、中央:ヴィシュヌ、右:シヴァ


 この三神一体説は、キリスト教の三位一体説と比較されることがあります。しかし、イエスが人か神かという問いに発して、父なる神と子イエスと聖霊が神性において等しいとする三位一体説とは少し異なり、トリムールティ説の三神の位置づけは流動的でシヴァ派の人にとってはシヴァが主であり、ヴィシュヌ派の人にとってはヴィシュヌが主というように場合によって変化します。
 こういった寛容さが古代インドにはありました。

 三神それぞれに役割が分けられます。ブラフマーは宇宙の創造を、ヴシュヌは維持を、シヴァは宇宙期の終わりにおける宇宙の破壊を司るとされます。

 トリムールティ説の初期のものは、古代ウパニシャッドの中でも後期に属する『マイトリ・ウパニシャッド』第5章に現れます。

 5.2では、万物がタマス(闇質)、ラジャス(激質)、サットヴァ(純質)の三種の質からなるとするトリ・グナ説に、三神を結びつけて、ルドラ(シヴァ)を闇質、ブラフマーを激質、ヴィシュヌを純質に対応させます。
 また6.6では、聖音オームがa u mの3音からなることから、aにブラフマー、uにルドラ、mにヴィシュヌを対応させています。古代ウパニシャッドの後期には、すでにトリムールティの観念が成立していたのだと考えられます。

 西暦400年前後、サンスクリット文化の花開いたグプタ朝の繁栄のもとに活躍した、サンスクリット文学最大の詩人カーリダーサは、『クマーラ・サンバヴァ』(クマーラ神の誕生)2.4以下で、トリムールティを美しく歌いあげます。

 また、仏典の『提婆菩薩釋楞伽經中外道小乘涅槃論』は、「摩醯首羅一體三分。所謂、梵天、那羅延、摩醯首羅。」と、シヴァをマヘーシュヴァラ、ヴィシュヌをナーラーヤナとしますが、トリムールティ説に言及します。
 この論書は、提婆菩薩(アーリヤデーヴァ)に帰せられてはいますが彼の真作とは見なされていません。しかし、508年に洛陽に到着したインドの菩提流支が翻訳したものなので、5世紀には成立していました。その頃、トリムーティ説が広く知れわたっていたことがうかがわれます。

 時代が下って11世紀、ソーマデーヴァの説話集『カター・サリット・サーガラ』73.169-171には、苦難続きで悲嘆にくれるブーナンダナ王の前に若い行者が現れ、次のようにトリムーティ説を説いて聞かせます。

「王よ、このからだがある限り、どうして苦しみの終息がありましょう?
 賢者たちが苦悩を離れてたえず追究するのは人間の目的です。
 不滅者(Acyuta ヴィシュヌ)と支配者(Īśāna シヴァ)とヴィリンチ(Viriñci ブラフマー)が真実には一つであることに気づかないかぎり、これらを別々に崇拝することによって達成されるものは、はかないものでしかありません。
 ブラフマーとヴィシュヌとマヘーシュヴァラを区別なきものと念じつつ瞑想して、これからの12年間、忍耐をもって苦行に励みなさい。」

 トリムールティ像として有名なのは、ムンバイ沖のエレファンタ島シヴァ寺院の「三面のシヴァ像」です。西暦8世紀以降の作とされる。巨大な像の向かって左側は、骸骨を戴くすさまじい憤怒の相で、その反対の右側は、美しくやさしいシヴァの神妃ウマーの顔、正面は瞑想するシヴァの崇高な像です。巨大な岩山を奥深くくりぬいて、深い暗闇から現れ出てきたかのように見えるよう彫られています。

続く

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