9・11から20年

 アメリカで同時多発テロが起きてから今日で20年になります。ニューヨークの世界貿易センタービルに最初の旅客機が突っ込んだのは日本時間22時前。私は当時小学4年生で、とっくに寝ていました。翌朝になって、日課のようにして見ていた教育テレビでさえもこのテロに関する特別報道をしていたことで事の重大さに気づいたことは鮮明に記憶しています。(Wikiでは確認できませんでしたが…)
 私にとっては記憶に残る中で特に古いニュースの一つでしたので、タリバン側のうごめきに関する報道を7月中から時折ツイッターで見て気にはかけていました。これだけ早く元に戻ってしまうことになるとは思いませんでした。

 アメリカとアフガンの間だけで考えても、この20年間どれだけのことがあったことかと思いますが、この事件から派生した出来事も数多くあったでしょうから、そういったものをすべてひっくるめたらどれだけの人々が影響を受け、命を奪われてしまったのでしょうか。人間の成すことの愚かさと空しさ、また哀しさを覚えます。
 タリバン政権については当初楽観的な見方もありましたが、1ヶ月近く経った現在では懸念の度合いが圧倒的なのではないでしょうか。

 一応音楽を日常的に嗜んでいる人間としては、本当に心痛む投稿でした。 fbでシェアした際にも「これはキツい…」と書かざるを得ないほどには。
 リンクされているfb投稿には、「国立音楽研究所の楽器が破壊された。この研究所には、アフガンで初めて組織された、すべて女性によるオーケストラの名前(ペルシャ神話の音楽の女神の名に由来)が冠されていた。」という説明が当初記されていました。せめて、何もしないまま外国に売り飛ばしてくれれば…と思ってしまいました。
 一方で、東京で行われたパラリンピックにアフガンを脱出した2選手が出場できたのは本当に良かったと思います。ネットがなければ起き得なかったことかもしれません。2選手はパリへ向かったそうです。

 そういったことを思ってはいたものの、これだけでは記事を書くつもりはありませんでした。しかし、今日もfbの「過去のこの日」を遡っていたところ、8年前の2013年に投稿していた映画「飛べ!ダコタ」の感想を読みました。この作品は、終戦から半年も経たない1946年初頭に佐渡島に不時着したイギリス要人機を巡る、イギリス人と佐渡の人々の温かい交流を描いたものです。ロケも佐渡で行われたことで新潟県内では先行上映され、私はそれを投稿の前日に観ていました。

 ParaviABEMAで配信されているそうなので、観たことがない方はぜひご覧いただければと思います。(↑配信ページに直接リンク)
 とは言え、この作品の中から少し紹介させていただきたいと思います。8年前の投稿の最後に、2つのセリフを記憶できた範囲で紹介していました。

「『誰かにだまされたから戦争になったんだ』と思っているようでは、また次の戦争が始まってしまう」
「愛する人の大ケガ(※これにより戦地に行かずに帰郷した登場人物が、作中でかなりのキーパーソンです)を喜ぶような戦争は、これから決して起きないでほしい」




 2件目に似たセリフは「片隅」(感想note)にも出てきましたが、今日のような日には1件目のセリフが非常に胸に響いてきます。9・11を機に始まった「テロとの戦い」はイラクでの失敗を経て、元々のアフガンでの失敗をもって終結したと言えるでしょう。先程影響や人命について言及しましたが、分断が広がったという点も見逃すことができないと思います。

 現在のネットを巡る状況を見ると、簡単にだましやすくなってしまっている、また分断も容易に作れるようになってしまっているようにも思えてしまいます。しかし、そのような状況の中でも(今回取り上げた問題に限らず)地道に善意や救援の輪を広げようとしておられる方々のことも心に覚えたいと思います。コロナ禍の影響で誰しもがギスギスとなってしまいやすい現状ですが、真実と愛、また個人の尊厳が尊重される世の中であることを願います。

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