見出し画像

「この世界の片隅に」鑑賞後の感想まとめ

 いわゆる「調べ物」ではない、肩肘張らない記事もコンスタントに出したいなぁとは思うんですが、現実はなかなかそうもいきません(^^;;
 今回は割とそれに近いかなぁと思うんですが、fbの「過去のこの日」きっかけの記事です。4年前の今日、初めてこの作品を鑑賞していました。公開が2016年11月12日(土)でしたから、2ヶ月あまり経ってからようやく観たことになります。

画像1

 鑑賞したのは、新潟市の中心部にあるミニシアター「新潟・市民映画館 シネ・ウインド」。新潟駅万代口から徒歩圏内(10分余)にあります。
 ちなみに、県内にはもう一つミニシアターがあります。上越市にある高田世界館は100年以上の歴史を持つ日本最古レベルの映画館で、こちらも高田駅から徒歩5分余のところにあります。

 タイトルに「まとめ」と書いたくらいなので1度きりでは終わらなかった訳ですが、初発の感想としてfbにこのように書いていました。
(今回の見出し画像は、シネ・ウインド入口脇の宣材です)

 ようやく観ることができました。fbfの方の中にもリピーターがいらっしゃるようですが、そうなるのも無理はないなぁと実感しました。その理由は、作品の持つメッセージ性が薄い(ぼかされている)からなんじゃないかと思います。だからこそ、観るたびに作品の随所にさり気なく散りばめられている断片に「新たに」気づけるんじゃないかなぁと。
 今回感じたことは2点で、まずは「目の前にある状況を『自分のものとして』(=主体的に?)生きる」ということ。言うまでもなく、すずの生き方から学び取ったことです。このためには、何事にも楽しさを見出すセンスが結構肝要ではないかと思いました。もちろん良心を押し殺してまでそうすべきとは思いませんが。
 そして、すずに対して言われたセリフから「普通に、まともに生きる」ということを思いました。これは一つの正解がある訳でなく、一人ひとりの置かれた立場が違う以上千差万別となる訳ですが、これまで当然のように思われてきた常識を覆すようなことが起きている現代においてはなおのこと大切なメッセージではないかと思いました。
 一方で、異なる価値観の衝突によって他者の「普通」が壊されてしまうこともある訳で、それは一点目に返っていく話なのかなぁと思います。つまり、思い通りにならないことも含めた「自分が置かれた状況」をどのように捉え、受け入れていくかということです。(受け入れる=主体性を失くす、ということでもないと思います)
 図らずして2点とも「生きる」というワードが共通しました。生きることに対してまっすぐであるという点も(時代背景上当然と言われればそれまでですが)、この作品の魅力なのかもしれません。

 この3週間後に2回目が訪れました。

 母が見たいと言ったので「片隅」再び。イオンシネマの場合、健常者1人と障害者+付添は200円しか変わりません。
 前回は「まともに生きること」を最初に挙げましたが、今回は「周りの物を使い尽くして生き抜くことが私たちの戦い」というすずのセリフが印象的でした。大杉栄の「生は永久の闘い」という名言にも通じるところがあるかもしれません。
 そうやって戦ったからこそ、玉音放送の後に泣き腫らしたのでしょう。すずは敗戦を全く喜ばなかった。それでも全体的には平和の大切さも伝わる訳で、描き方が上手いなぁと改めて思います。
 最後に(と言うほど今回は長くありませんが^^;)、まともに生きることについてもう一つ。すずが右手を負傷した後に周囲からかけられた「(その程度で済んで)よかったね」という言葉に、当の本人は抗います。そこが、その時のすずが残していた「まともさ」だったのかなぁと思いました。
 それにしてもまあ、観た後の「ずっしり感」は今回の方があるような(^^;) すごい作品ですねこりゃ。

 一昨年の夏に(+昨夏も)NHK総合で放送されましたが、その時は全編しっかりと観られなかったこともあり「どちらかと言えば初発の感想を強く感じた」というあっさりとした投稿にとどまっていました(^^;;
 そして、2019年末に封切られたのがこちらでした。コロナ前の絶妙なタイミングでの公開だったんじゃないかなぁと思います。

画像2

 こちらは再びウインドで観ました。上映時期は新潟にもコロナの波が押し迫りつつあった3月前半。にもかかわらず?、他にもどうしても観たい作品があり、さらにそれとのハシゴが叶わず(汗)、3日間で2回も通うという初めての経験をしました。

 人生初であろう「3日で2作品」。前作と合わせて3回目でしたが、初めて観た時の問いを改めて突きつけられた気がします。「日常」「普通」が揺り動かされる中にあって、いかに「まともさ」を守り抜くのか…
 肺炎という言葉が出てきたり、「人は戦争以外でも亡くなる」なんていうセリフがあったりと、やけに今の状況を思わせられることが多かった気がします…

 回を重ねるに連れて文量が減っていくのは致し方ないことでしょうか(^^;; 今の時世では致し方ない気もしますが、3編の感想を改めて読みながらつくづくコロナのことを考えさせられます。ここ数日「時短要請に応じない飲食店」が報じられていますが、これは「まともさ」に裏打ちされた抵抗なのではないかと思うのも事実です。
 「片隅」の時代と現代に様々な違いがあるのは言うまでもありませんが、この時代に「片隅」が作られて、第一作公開の数年後にこのような事態が起きたのは不幸中の幸いだったのかもしれないとも思います。コロナに関連する人間的問題は報道レベルだけでも嫌になるほどの量がありますが、そんな中で「片隅」のことを思い出す方も少なくないのではないかと思うからです。もちろん、本来的にはあの戦争のことが想起されるべきではあるのですが。

 広島に関連する話題で言えば、間もなく22日に核兵器禁止条約が発効します。

 多大なご尽力をしてこられた関係者の方々に、心からの敬意を表します。また、日本政府の一日も早い参加を強く望むものです。このニュースが出た10月25日は、佐々木禎子さん(Wiki)の命日だったのです。何という巡り合わせだろうかと思いました。
 とは言え、現実問題として核がなくなったとしても戦争がなくなる訳ではなく、戦争が国内で発生していない日本たりとて社会問題はいくらでもあり、それによって苦しめられている方々は大勢います。そういう意味でもやはり「戦い」は常にあるんだなぁと思わされます。そのような中で一人一人が確固たる根を持つことと、それを常に客観的・批判的に見ることも大切ではないかとも思います。

より多くのアウトプットをするためには、インプットのための日常的なゆとりが必要です。ぜひサポートをお願いしますm(_ _)m