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私のアメリカ暮らし 

 先日久しぶりにThriller のロングバージョンを見た時、あの何とも言えない、日本がバブル景気へ向かう空気感をなんとなく思い出していました。
その頃の私は田舎の高校生。そんな曲がすごく流行っているらしいという噂と音楽は聞いていても、今のようにyoutubeがあるわけでもありません。どんな映像なのか知る由もありませんでした。
そして大学時代にマイケルジャクソンは初来日します。マドンナと合わせて大変な話題でした。まさに私が子供たちに「自慢」する80’sそのものです。

 そして1992年、私の初めてのアメリカ暮らしが始まりました。
長らく続いた共和党政権を倒したのは若きビルクリントン。その大統領就任式を一ヶ月後に控えた頃、私は初めてアメリカの地を踏んだのです。

 大統領就任式が終わってひと落ち着き、そんな頃に私を驚かせたのはアメリカ中が熱狂するスーパーボウルでした
その年のハーフタイムショウはマイケルジャクソン。もちろん私は会場にいたわけではありませんが、その当時住んでいた家は会場からおよそ10マイル。近くにいる人々の興奮と相まって、私は今アメリカにいるのだ。住んでいるのだ・・・とテレビを見ながら再認識したような記憶があります。


私のあゆみ

 このnoteのページには、「仕事依頼」という項目があります。

 今までも色々小さな雑誌記事を書いてきましたが、改めて「仕事依頼」なんて言われるとどんなことを書けば良いのだろうかと素直に悩みました。此れと言って得意分野があるわけでもない。でも、一つ興味を持ってもらえそうなことがあるとするならば、案外この私がアメリカで生活してきてそれぞれの場所で感じた空気、それはどうだろうと思ったのです。

 そんなことをこれから箇条書きにしてみようかと思います。
興味を持っていただけたことが仕事につながればとても嬉しいです。

経験してきたこと

渡米に関して

 今の時代は燃料費も高騰し大変です。飛行機が随分小さくなったなあ。。と空港へ行くたびに思います。
私を初めてロサンゼルスへ運んでくれたのはジャンボジェット機でした。時代を感じますね。
 
 アメリカを行き来する中ではいろいろな経験もしました。
生後半年の赤ちゃんを連れての長旅、赤ちゃんを含む家族での移動。今そんな子育ての時代がすぎると、よくあんなことができたな、と思うことがたくさんあります。
地下鉄サリン事件の数日後、ちょうど強制捜査が入った日に渡米したこともありました。その日の成田空港の厳戒態勢を今でも覚えています。

アメリカ生活

 私はいつも、自分はインターネットが公開されていないアメリカ暮らしを知る最後の世代だと思っています。
両方を知る身からすると、アメリカ生活の快適さは驚異的に変わりました。

 趣味の一つがなんでも手作りをすること。今は様々な日本の食材が手に入りますが、まだそんな時代でもない頃からアメリカで手に入る食材で作る怪しい日本食づくりを楽しんできました。

お醤油、お味噌、。。。 今は色々なサイトで紹介されていますが、私が始めた頃はまだまだこのサイトぐらいしかありませんでした。

このサイトにどれほどお世話になったかわかりません。

アメリカに暮らす日本人として

  日本人になんて貸す家はない、そんな風に言われたのに今では綺麗に暮らしてくれるから貸すならば日本人。そう変わっていったのよ。そんな話をしてくださるアメリカ暮らしの先輩方とたくさん交流をもってきました。

 ロサンゼルスで暮らし始める少し前に、新聞で全米日系人博物館ができたことを知り、渡米後すぐにでかけてみました。
リトルトーキョーにある小さなビルの一角だった博物館は、2006年に再訪した時には大きな博物館に変わっていました。
この博物館に込めた先人の皆さんのお気持ちに感動したことを覚えています。

 1993年にこの博物館を訪れた際に、第442連隊で戦われた方に案内していただくとともにお話を聞かせてもらいました。

ボストンは西海岸とは違い、第二次世界大戦後にアメリカに渡った先輩が多い土地です。様々なお話しを聞かせていただいたことも私の財産だと思っています。

出産、育児

 ボストンで出産。そして、子煩悩でありながらもこの国で家族を守り生きぬいていくために必死だった夫のもとで、ワンオペ育児を経験しています。

教育

 私は3人の子供たちの年齢がそれぞれ離れているために、今現在、高校の最終学年である娘が卒業すると、2000年から2024年までというほぼ四半世紀、同じ街の公立学校教育に保護者として関わってきたことになります。 
 
No child left behind がもたらした功罪、街の財政悪化による教師や授業時間の削減なども目の当たりにしています。
「心のケア」というものの危うさも経験してきました。
母親として大学、大学院教育を見守っています。

家族のこと

海外暮らしをする中で、私たち夫婦なりの形で親の老いに向き合ってきました。

 家族が離れて暮らす。それは大変な挑戦ですが、穏やかに育ってくれた子供達を見るたびに、それぞれに抱えたであろう様々な思いを乗り越えてくれたことをありがたく思っています。

 ボストン暮らしのなかで、様々な宗教が混在するアメリカならではの冠婚葬祭に関わり、私も姑として新しい家族を迎えました。

健康

 子育ての中で家族の健康管理に関わるとともに、私自身が顔面麻痺を発症しました。
日本とは違う医療保険制度の中での葛藤、変わってしまった自分の顔と日々向き合っています。

歴史の中で

9.11 を経験するとともに、アフガニスタン紛争、イラク戦争をアメリカから見てきました。
アメリカ市民として選挙権をもち、トランプ大統領が誕生した時の人々の混乱、興奮や落胆ぶりも経験してきました。

仕事

縫い物が好きだったことを生かして洋裁店を経営しています。

小さいながらも、地元の人々に支えられていることをとても幸せに感じています。

 アルバイトでガイド仕事を楽しんでいます。

 ガイド仕事は私の学びの場でもあります。

 学んだことを少しづつガイドブックに綴っています。
ガイドブックづくりは私の一生の趣味になりました。

 私自身も旅行が大好きです。
愛車でのアメリカ大陸横断ひとり旅にも挑戦してみました。


お問い合わせは

studiohyacinth@gmail.com
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お気軽にお問い合わせください。


1992年からのアメリカ暮らし、ボストンはそろそろ四半世紀になりました。 「取材」と称していろいろ経験したり、観光ガイドも楽しんでいます。 https://locotabi.jp/loco/hyacinth 応援していただけたらとても励みに思います。