【繊細さん】だれかを助けると、自分が薄まる。
ぼくは 「世のため、人のため」という言葉が好きではありません。
なぜなら「他者を助ける」は、見方を変えれば「じぶんを置き去りにする」ということでもあるからです。
「(本当はやりたいことあるけど…)あの人が困ってるから助けにいこう。」
他者貢献ですてきな考えだな、とおもいますが、自分のしたいことはどこにいったのかな?とも思います。
適度ならいいんです。
ただ、この記事を読んでくれている「あなた」は、誰かのヘルプすべてに駆けつけようとする、いや、かってに体が動いてしまう人、じゃないですか?
図星でしょう、うめぼしでしょう?
酸っぱい顔をしているあなたが見えます👀
そんなやさしいあなたに、ぼくは言いたい。
「もっと自己中に生きていいんじゃね?」
雑なことばでごめんなさい。でも本心なんですよね。もっと自分のために時間を使ってもいいんじゃないかなって思うんです。
だれかの人生を助けまくることに「こころにぶっ刺さりまくる快感と幸福」を感じるのであれば、それはいいと思います。
むしろやり続けてほしい。
でもそうじゃなくて、ただ「何となく助けてあげたいなぁ」みたいな明確な意思がかけている他者への貢献はやめてもいいと思います。
やめた方がいい、とまで言えます。
それはぼくが、余裕のない時に「漠然とした人助け」をつづけ、鬱になった経験があるからです。
じつは、この記事「あなたに」なんて言葉をつかって問うようにかいていますが、だれかに届いてほしいなんて高尚なことは1ミリも思っていません。
じゃあ、だれに??
ぼくは、自分に対して「深くふかく刺され」と、おもってかいてます。
鬱や適応障害で、つかれ切ったことのあるぼくですが、いまだに「だれかを助けねば」に囚われるときがあります。
○○しなければならない
△△をやらねばならない
□□さんのために何ができるかな
こんな思考が、頭のまわりをグルグルするんです。
そんな思考の迷走がはじまったとき、どうしたらいいのか?ぼくは、この記事のタイトルである
「だれかを助けると、自分が薄まるぞ」
を、愛をもって自分に言い聞かせるんです。
強く強くこうおもっても「自己犠牲の他者貢献」は、でてきてしまいます。ですが、それすら「もう特性だよね」と受け入れたうえで、ダメ押しでいいきかせる。
「だれかを助けると、自分が薄まるぞ」
これくらいで、ちょうどいいあんばいになるんです😊
このちょうどいい感覚も、極端にだれかを助けたことがあって、いいきかせる期間があってこそ理解できるようになりました。
人生において、そういう時期は必要。
そのあとの対策する時期もおなじくらい必要。
そうだよね、おれ! 頼むよ!
自分にそう言いきかせるついでに、まわり回っていつか、だれかのこころにも届いてくれたらうれしいな。
自分を大切に、ね。
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