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★【酔筆素読#12・読書番外】生き方それぞれ。趣味と仕事

『中間管理録トネガワ』という漫画の最終巻に、仕事と人生について、「第一線で働き続けるビートたけし」「趣味ややりたいことを楽しみ尽くす所ジョージ」の2種類があると説くシーンがあります。
要するに、仕事を第一に生きる(仕事以外は二の次)か、趣味を第一に生き(仕事は単なる手段)かの2種類です。

この表現に非常に惹かれたので、この記事で深堀りしていきたいと思います。


【仕事編】ガンガンはたらこうぜ


まずはたけし軍団。仕事第一の生き方について。

人間(日本人だけ?資本主義の人間?)誰しも、ある時から「仕事」を意識します。将来の夢、お金を稼ぐためのアルバイト、就職活動。。。読者の方の年齢はわかりませんが、最低でも1つ、多くの方は3つ全てを考えたことがあるのではないでしょうか。将来の夢はいわば“考えるだけタダ”、アルバイトは“一時的なもの”です。
しかし就職活動は社会人になった時の、独り立ちした時の生活の糧としての仕事を決めるものです。生活の糧としての仕事は、極論生と死を決めるものです。大企業に努めれば生、小さな会社に努めれば倒産して無職=死、というざっくりした二元論が存在しているように思えます。
なぜそこまで言えるのかといえば、日本は資本主義社会だからです。生きるには金が必要です。長らく生きるためには、金の永続的供給が必須です。金の永続的供給の近道は、潰れない大企業に勤めることです。

ただし、仕事には金の永続性を超えた価値があります。それは地位と名誉、贅沢です。出世、誰もが知っている朝一流企業の社員という肩書、高級外車やタワーマンションを手に入れる、多くの人間の夢です。意地悪な言い方をしますが、人文学を中心に勉強している方にはピンとこないものかもしれません。私が実際そうです。ただ、私はタワーマンションに住まれている方を相手に、高級外車犇く場所で仕事をしているからこそ、そうした価値観が非常に強固なのだと実感しています。

そこまで露骨でなくても、金が人間の大きな部分を占めていることは人生経験から明白です。
読者の皆様の中に大学生、あるいは大学生を経験したことのある方ならわかるかと思いますが、1年生の頃から就活に躍起になっている学生はいるものです。私の同級生には、1年生の頃からインターンに行ったり、就活で不利になるからと漫研に入るのを躊躇ったりする人がいました。
というかそもそも、大学1年生では遅く、中高一貫校を受験させる親、小学校受験をさせる親の中には、子供の将来=大企業への就職=永続的な金・苦労しない生活を考えている方がいるのではないでしょうか。

命を大切にされている方にとっては、生きていることが何よりも大事というのはよく理解されるのではないでしょうか。資本主義社会においては、金がなければ生きることは出来ず、よって金が何よりも大事ということになります。

仕事が一番、大企業が一番という価値観が非常に重視されている、需要があるというのは、日常生きていてよくわかることです。就活に関する参考書は数多く売られ、合同説明会の会場で名の知れた企業に学生が集中する(説明が学生集まり次第ではなく、最初から時間が決まっているなど)ことからも明らかです。面接で自分を取り繕ったり、会社で上司に意見をしないというのは、その証拠な気もします。

そういえば、私がアルバイトをしていた塾のとある校舎に、偏差値順に並べられた大学と大手企業への就職人数のマトリックス表が貼ってありました。


【仕事編】じぶんだいじに


「日本の就活クソ食らえ!!!!!!!」という方も多いのではないでしょうか。偏見ですが、社会学や哲学、文学といったものを専攻していた方により多い気もします。それ以外の方には、「就活?簡単やん。しない奴終わってるわ(笑)」「就活は嫌だけど、頑張らないといけないしな〜w」という風に考えている方もいるのではないでしょうか。

ネットで日本の就活を皮肉たっぷりに揶揄した動画がバズったり、自分らしさを大切にする言説がもてはやされたりする風潮からは、この命を紡ぐ就活へのアンチテーゼが見受けられます。

私の同期には、自分のやりたいことのために転職した人や、重大な仕事から逃げた人、やりたいことを心で追い求める人がいます。

こういう言い方をしたくはないですが、インターンや採用試験を沢山受けた人は、自分の負担を顧みずに“頑張った”人、「やらなければいけない」と思っていても“面倒臭がって”全然受けなかった人は自分の本能のままに生きた人、と言えるのではないでしょうか。

就活や出世競争のような、他人を蹴落とし、自分を殺して嘘で塗り固める行いはしたくない、そんな「しない」ことを優先して生きる、要するに自分を大事にする人もいます。

ちなみに私は、就活で企業に気に入られようとしたものの、銀行や証券会社、IT、広告などには目をくれることはしませんでした。こういう言い方は失礼ですが、大学生に人気がない職種を第一志望としていたので、のびのび就活していた気がします。第3候補くらいの企業は、面接で嘘を取り繕うことが出来ずに落ちました。ちなみに、受かったものの行かなかった企業の最終選考では、社長やもう一人の幹部、2人の就活生の前で「最近買って嬉しかったもの」を話すという独特なものがありました。私は



私「メイド服を買いました」

社長「え、それはあなたが着るの?」

私「はい」

社長「あ、そう…へぇ…」

結果→合格

となりました。ちなみに今働いている会社の面接では、「ロリコンや喫煙者も差別されている」という旨を話したりしました。この経験から、就活では本当のことをとにかく堂々と話すことが大事だと考えるようになりましたが、超人気企業の面接でも通用するんですかね。


【趣味編】バッチリたのしめ


ここからは世田谷ベース。仕事はそこそこ、趣味を第一にする生き方です。生活はもちろん、趣味にもお金がかかるので仕事からは逃れられませんが、趣味のためなら一生懸命働ける、ということです。自分の時間を大事にするために公務員になる人、週休完全二日制を譲らない人、いますよね。『サーバント×サービス』という漫画には、コスプレ趣味を第一にするために公務員の臨時職員になったキャラが出てきます。

出世競争に躍起になる人、仕事に全力を注いでそれ以外何もしない人を横目に、休みをとって頻繁に旅行に行く人、残業や飲み会を避けてゲームに勤しむ人、同人活動をする人などは、自分と自分の界隈を第一に楽しく生きている人がいます。仕事は自分の思い通りに行くことはほぼなく、嫌なことだらけなことが多いです。しかし家に帰り、自分の趣味に没頭することで、人生を満喫することができます。

仕事=金=裕福で贅沢な生活から脱却することで、金を稼ぐ・金の寡多という競争という強制スクロールから降り、自分でステージを進めていく自由なマリオになれるのです。

趣味は鉄道やアイドルなど、推しの対象の供給次第で歓喜したり落胆したり、振り回されることが多いものですが、それでも仕事という生き方に比べたら、圧倒的に自分で制御・選択できるものです。自分らしい生き方を仕事では叶えられないと悟ったならば、早々に出世コースから降りて、その外で廻っていくのも生き方の一つと言えるでしょう。

男らしさ・男性のライフコースについて書かれた本を読むと、仕事に尽力してきた男性が定年退職後、妻に粗大ゴミ扱いされる、ボケてしまうという話がよく出てきます。また、妻に先立たれ、生活力のない夫が困窮するというのも聞く話です。仕事一本で生きていくというのは、他の選択肢を排除した、柔軟性に欠ける生き方と言えるかもしれません。

私は仕事での成功で会社や社会に貢献するよりも、noteやTwitterを通じて、ニッチな需要・マイノリティに寄り添っていこうと(今のところ)思っているので、仕事はほどほどに頑張りつつ、プライベートを充実させていく所存です。


【結論】かんがえさせろ


仕事第一、趣味第一、どちらも自分の人生であり、自分にとって大切なことを最重要項目として生きていくのは悪いことではありません。むしろ、惰性で生きていくよりも、自分なりの指針を作って生きていくことの有意義さは素晴らしいものです。

しかし私が考えて欲しいのは、この資本主義社会の中で、「仕事での成功が全ての事柄に勝るのか?」ということです。出世、名誉、地位という価値の競争から降りること=社会規範から脱却することには勇気がいります。なぜなら、仕事への邁進は周りもやっていて、成功の形もイメージしやすく、その成功は世間からもたやすく認められるからです。一方趣味への没頭と達成は、他人から評価されにくい、なんなら「遊んでいる」とみなされやすいものです。私はどちらがより優っているかを解く気はありませんが、仕事だけが絶対の成功という他人が決めた基準から脱却し、自分の中に評価軸を取り戻す可能性を見つめることが、生きづらさの解消の鍵になるのではないかと思って、この記事を書きました。

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