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データ分析×指導×哲学

こんにちは、hiroです。

みなさんは学校の先生が普段何を考えて指導=子どもたちや学生と関わっているか知っていますか?(*1)

1、学校の先生の指導は勘とセンスと経験則

学校の先生は、大学の教職課程で教科の知識と共に指導について学んでいます。各教科の「〇〇指導法」という授業もありますし、教育実習や授業の演習で指導について多少は学びます。しかし、実際に現場に出て思うのは、学校教育現場での指導は、ほぼ100%と言っていいほど、先生の勘とセンスと経験則で成立しているということです。驚かれるかもしれませんが、先生の指導に特別な根拠や理由があるわけではないのです。

もちろん私も勘に頼っている先生の1人ですが、以前から、このことにとても危機感を持っていました。というのも、たまたま私の指導が学生(子ども)にとって良い指導ならばいいですが、もし私の指導がその学生(子ども)にとって良くない指導であれば、今すぐにでも改善しなければいけないからです。(*2)

そこで今回は自分自身の指導のタイミングや方法が適切かをデータを使って分析してみたいと思います。

2、自分の指導をデータ化する

今回使用するのは、毎日の健康観察データです。私の本務校では、4月当初よりフォームを利用して、教職員、学生共に毎日の健康観察を実施しています。現在、多くの学校で健康観察が行われていると思いますので、汎用性の高いこのデータを使用することにします。

使用するデータは、日付健康観察をしたかどうか、これのみです。毎日、クラスの学生(19名)の内、何人が健康観察を行ったかを指導との関係で見ます。指導はその都度考えて行いましたが、そこに明確な根拠はありません。

3、自分の指導を分析する

グラフは日々の健康観察回答者数の総計です。グラフの下には、日付と共に指導の流れを書いています(色は登校した日、遠隔授業の日、休みの日の区別です)。以下が期間中の詳細な指導の流れです。括弧内は指導の際の私の意図です。

4/11~4/16
健康観察をスタートしてすぐのため、ほとんどの学生が忘れずに健康観察をしています。(自己管理できるか様子を見る)
4/17~5/2
健康観察をしない学生が日々数名いましたので、毎晩未入力の学生に個別に指導を行いました。(習慣化の徹底と自己管理方法の工夫)
5/3~
学校全体でMicrosoft Teamsの利用をすることになったため、そのタイミングで全体指導を行い、個別指導を終了しました。(自己管理への動機づけ)
5/13~
個別指導を終了した結果、1番少ない日では10人しか健康観察を行わない状態になったので、毎朝9時に自動でお知らせをするシステムを作成し、導入しました。(自己管理の徹底とそれが難しい学生へのフォロー)
5/20~
毎朝の自動のお知らせを任意とし、希望の時間にお知らせするように設定を変更しました。(自己管理方法を学ぶ)
5/25~
登校再開のタイミングで全体指導を行いました。(自己管理の達成)

4、自分の指導の分析結果

①教員の指導と健康観察回答者数の関係
これは明らかに相関がみられました。個別に指導することが効果的であると同時に自動のお知らせであっても個別指導と同等の効果があることが分かります。

個別指導をしている期間の回答者数平均   :18名
個別指導がない期間の回答者数平均     :14名
自動のお知らせを実施した期間の回答者数平均:18名

②対面授業日、遠隔授業日、休みと健康観察回答数の関係
これには有意差は見られませんでした。つまり教員が目の前にいて指導をするかどうかは、あまり関係がないということです(ちなみに個別指導か全体指導かということで分けても有意差はありませんでした)。これは重要な気付きです。

対面授業日の回答者数平均:17名
遠隔授業日の回答者数平均:18名
休みの日の回答者数平均 :17名

③回答が少ない学生と多い学生の差と指導方法の関係
期間中1番回答日数が多かった学生は毎日実施をしていました。一方で回答日数が少ない学生は約60%の回答日数でした。10日の内、4日は忘れているということです。

回答日数の少ない学生は、個別指導、全体指導に関わらず、教員の働きかけから数日は忘れずに実施できますが、しばらく経つと実施しなくなるということを繰り返しています。

5、自分の指導に対する考察

今回、このようなデータ分析を行おうと思った理由は2つです。1つは、ちょうどコロナ対策でまとまったデータがあったからです。もう1つは、自分が普段なんとなく行っている指導がほんとうに学生にとっていい指導なのかを考えたいと思ったからです。
もちろん、いつも適当に学生指導を行っているわけではありません。教員として自分なりに学生によい指導をしたい、いつもそのように考えています。しかし、その自分なりが自分本位になっていないか。それを自覚するためにデータ分析をしてみました。

データによって指導が劇的に変わるとは思いません。分析をすることも目的ではありません(*3)。しかし、データによって自分の指導を振り返ることで新しい気付きを得ることができます。例えば、私の場合は対面しているかどうかは指導の効果に関係ないということが分かりました

教育の場面では客観的な基準を用いにくいのは事実です。一方で、これまであまりそのような観点から先生の指導が論じられることがなかったのも事実です。実際に自分の指導を分析してみて思うのは、指導をデータ分析することの意義は、教員の指導の自覚と反省のきっかけにあるということです。

(*1)指導とは何かの目的に向けて、指示して導くことです。
(*2)先生と子どもの性格の相性もありますが、先生は指導のプロですから子どもの性格でコロコロ指導が変わるというのはそれはそれで問題です。
(*3)データ分析のプロから見れば、不十分な分析であるだろうと思いますが、指導の自覚と反省のきっかけということが目的であるとご理解頂けると嬉しいです。


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