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「ジョブ型」雇用、賛成/反対?のコメントに対する私のコメント

 こちらの「日経ビジネス」の特集内で、

 あなたは、在宅勤務が広がる中で導入が進む「ジョブ型」雇用に賛成ですか? 以下の3つから選んでください。
(1)賛成
(2)反対
(3)その他
 その上で、そのように考える理由や、今後の雇用形態の在り方について、ご意見をお寄せください。

という試みが行われていた。50件を超えるコメントを拝読したが、どれも質が高く有益な議論がなされていると感じた。

 せっかくの機会なので、私なりに「賛成」「反対」それぞれの意見の傾向を分析するとともに、僭越ながらそれらに対する自分自身のコメントを記載してみる。

※ご注意※
・原文そのままの引用は著作権の絡みで難しそうであるため、大意を変えることなく要約、あるいは「まるめた」表現としていること、また、私の主観で「不適切」と捉えた表現についてもマイルドな表現に修正している点、ご容赦ください。
・私なりにそれぞれの意見を全体的に読んだうえで、「だいたいこんなことが書いてあった」という私の視点での「まとめ」であるため、「一部だけ切り取っている」「曲解している」「勝手に別々の人の意見をマージしている」といった類のご指摘も控えて頂けますと幸いです。
・もし私のまとめ方に懸念や不安や不信感がある方はぜひ原文にあたることをお勧めします。

賛成意見

①(流動性確保、スキルアップとセット)
 概ね賛成だが、雇用の流動性確保とのセットが前提だ。ジョブ型で採用するならば、そのポストがなくなった場合には解雇できなければならない。
 したがって従業員側にも、技術やスキルを自ら進んで身につけることによりいつでも「ステップアップ」していくという心構えも必要だ。
 有望なスキルを持つ社員とそうでない社員との間で、ポジションに対する機会の格差が出てくるため、社内でのキャリア教育が必要になる。大卒新入社員に求められるハードルが上がる(スキルのない大卒の雇用先の減少)ことから、大学におけるキャリア教育及び、大学の位置づけ自体の見直しも合わせて進めるべき。

②(周到な準備、小さく始める)
 人事評価基準や各種規約等をどのように対応させていくのか、過渡期における準備も重要だ。日立のように一部の対象者から始め、その中で課題を明らかにし対応しながら徐々に広げてゆくことが必要だ。

③(「個」を伸ばすことと、従来型の併用)
 「個人が活躍する社会」においては、従来のようなメンバーシップ型では伸びる人材が埋れてしまう。1人が1つのことに専念できる方が効率が良い。ただ業種・職種によってはメンバーシップ型の方が効果的なこともある。ジョブ型かメンバーシップ型かを選択できると良い。

④(働き方改革との連動、ニューノーマルに対応)
 「暗黙知」や属人型のやり方ではテレワーク中心の働き方は機能しない。従業員自身による自律管理と真の意味のコラボレーション促進、透明化の促進をしていかなければ企業も個人も生き残れない。

⑤(個人起点のキャリア開発)
 保有スキルや能力に従って報酬に差をつけるべき。「雇用が守られることと引き換えに、適性のない仕事でも我慢を強いられ、その対価として給料が支払われる」なんていう仕組みには限界がきている。「人間の尊厳」をもっと真剣に考え、従業員個々人の価値観やキャリアに対する考え方を重視すべき。

⑥(優秀人材の獲得、維持)
 能力の高い人には高い報酬を与える社会にならないと有能な人たちが海外に逃げてしまう。

⑦(業務効率化)
 職務定義書をしっかりと定め、その職務の重要性を正しく評価し対価を定めることが業務改善につながる。職務内容と目標が明確になるため、上司から振られた理不尽な仕事をキッパリ断れる。その結果、過剰な仕事を抱える人は少なくなり時間外労働の削減にもつながる。
 属人的な業務、認知されていない業務なども俎上にあげてきちんと整理されるべき。新しい研究や探索などは、通常の職務範囲を越える分として評価してもらえれば意欲を削ぐことにはならない。

賛成意見に対するコメント

 まず①について。大学でのキャリア教育や、入社後のキャリア開発、スキルアップの機会の提供ということが伴わないと、「準備不足」の従業員にとっては「ジョブ型」というものは脅威に感じられるかもしれない。ただしこれは、受け身の姿勢ではダメだ。制度が仕組みが整うまでずっと「準備不足」の状態のままで居て良いはずがない。社会に出たばかりの者も、中堅社員も、管理職も、はたまた高校生も含めた学生たちも、自ら進んで積極的に準備を開始しなければならない。(よくよく考えれば、これまでも十分に準備期間はあったのではないか?)また、「解雇しやすい」ということを企業側のみならず従業員側もポジティブに捉えて関連する法整備を支援しなければならない。

 つぎに②について。スキルベースの評価制度に変える。「時間」や作業量による評価ではなく、成果(しかも、OutputではなくOutcome)による評価の仕組みに変更する。これらのために、ある程度の準備期間は必要だろう。ただし、失敗することも織り込み済みで「試しにやってみる」ということは今すぐ開始しなければならない。「お試し」をいきなり全社的にやるのはもちろん難しいため、一定以上のバンドとか特定の部署からとか、対象者を絞ってスタートさせるべきである。

 ③について。職種あるいは入社年次(というかSeniority)によって、いずれかを選択できるような仕組みが可能であればそれも良いのかもしれない。「個」を伸ばす。「出る杭」はさらに引っ張り上げる。ということの必要性はますます高まること間違いない。企業の競争力に直結する。ただし、ジョブ型をして「1人が1つのことに専念できる」と理解することには若干違和感がある。幹になるような専門領域を1つか2つ持ちながらも、他の領域もそれなりにそつなくこなせるようジェネラリスト的要素も併せ持つということは、ジョブ型でも十分可能なはずだ。

 ④について。特にこの点は賛否両論あるかと思うが、私はこの流れから入っても全く問題ないと思う。すなわち、コロナ禍 → リモートワーク半強制 → 仕事ぶりが見えにくい → 慌てて「ジョブ型」に飛びつくというパターンである。もちろん、本末転倒という見方も出来るし、短絡的だとか本質論じゃないとか、色々聞こえてきそうである。いや、それでも別に良い。どのみち、「ジョブ型」を誤解している人だらけだ。それでも、HRテクノロジーを本格的に活用するためにはジョブ型に寄っていくしかない。多くの関係者の誤解を完全に解き、多くの関係者をロジカルに説明して納得させるためにはこの先10年くらいかかりそうだ。そのころにはほとんどの日本企業が瀕死状態になるだろう(良い人材を獲得、維持できない、という観点で)。であれば、どのような入り方だって良いではないか。
 ところで、「なぜHRテクノロジーの話とジョブ型の話が関係あるのだ?」という疑問の声もたくさんありそうだ。そこで、下記を紹介する。

 ⑤について。これこそ本質論だ。つまり、「機械的」という言葉がぴったりかと思うが、「個」を押し殺して自分に合っていない仕事、嫌な仕事も「まあ、そんなもんか」と半ば諦めて食い扶持を稼ぐために毎日淡々と働き続ける、というロボットのような暮らしは人間には相応しくない。「個人起点のキャリア開発」が重要だ。人の強みや特性、希望は当然ながら千差万別。究極的には、1,000人いれば1,000通りのキャリアプランを用意する。全くの絵空事と思うだろうか?必要なデータが揃い、必要な機能を備えた人事ソリューションを選択すれば決して夢ではない。そのためには、上の④でも触れた通り「ジョブ定義」や「スキルコンピテンシー定義」が必要なのだ。そうすると下地が整うことになるため、「ジョブ型人事制度」への移行がよりスムーズに行えるようになる。ちなみに、「ジョブ型への移行」が目的というわけではなく、結果として、自然とそちら側に寄って行くはずだ、ということである。

 ⑥について。優秀人材獲得・維持の観点で国際的競争力をアップさせるというのは、上記④⑤のようなことをしっかりと行った結果として後からついてくる、という程度に捉えたほうが良いだろう。

 ⑦について。これもあくまで「副次的効果」と捉えたほうが良い。ジョブ定義によって「責任範囲」(responsibility)が明確になれば、それによってサービス残業を減らしたり、さらにはパワハラ防止にもある程度効果ありとも言われている。「中間に落ちたボールを拾わなくなる」という問題については、「通常の職務範囲を超える分」としてむしろ明確化されるため、「縁の下の力持ち」的な動きをしていた人たちが正当な評価を受けられるようになるかもしれない。

反対意見

安定雇用が無くなる。一部の「スーパーエリート」しか生き残れない。日本の企業がうまくいってきたのは「チーム型」のやり方のおかげ。
 「できる人」へ仕事が集中し過剰労働にもつながる。個人主義的な傾向が強まり、全体平均収入は下降し日本経済が縮小均衡に向かうのを加速化させる。

「ジョブ」に見合った賃金が支払われるとは思えない。今までと同程度の報酬水準のままでジョブ型に移行されたら、「切られるリスク」だけが残る。

成果主義と同様、「ジョブ型」も単なる流行であり、雇用主側にとって都合がよく、搾取の構図がさらに進む。経団連が推進する施策はそのような傾向がある。

コロナという緊急事態で生じた勤務形態の話と、専門技術者の中途採用の話を一緒に議論すべきではない。

「ジョブ型」のもとで適正に評価制度を運用できる「上司」がいないと思われる。「ジョブ型」に適した仕事と適さない仕事がある。研究職など短期間では結果が出ない職種は適正に評価してもらえるのか、産休、育休、病気休職などの取得に影響がないのかなどの検討が必要。

反対意見に対するコメント

 ①について。「安定雇用」というが、そもそも安定していると感じているのは単なる勘違いかもしれない。この時代において、いったいどのような業界のどのような企業が「安定雇用」を実現しているというのだろう。「スーパーエリート」から明らかに漏れているという自覚があるのなら、その組織内で「スーパーエリート」とまでいかなくても「エリート」に少しでも近づくための努力をすべきであるし、「エリート」のグループに入れるような組織に転職すれば良いではないか。努力もしたくないし、かといって転職も気が進まない、というタイプの人材を置いておくだけの余裕はどの企業にもない。
 「チーム型」というスタイルのおかげでうまく行ってきた面ももちろんあるだろう。しかし、今後はどうあるべきか、そして、「チーム型」のせいでひずみが生じてしまった部分にもしっかりを目を向けるべきではないだろうか。
 「できる人」へ仕事が集中し、その人が過剰労働に陥っていることが明らかなのであれば、周りの人が助ければ良い。そういった意味のチームワークを捨て去る必要はない。
 仮に、ジョブ型の制度導入によって個人主義的な傾向が強まったとして、それによって「全体平均収入は下降し日本経済が縮小均衡に向かう」という関係が本当にあるのか、私はこの点についてコメントするための知見を有していない。

 ②と③について。これらはまるで何かの「陰謀論」のように思えてしまうが、仮にこれが「企業側にとって都合の良い制度」だとしても、そのままそれが「従業員側にとっては不都合な制度」であるかは分からない。むやみにそのような対立の構図を創り上げるのはいかがなものか。これを機に、自分に合った最適な場を真剣に考える機会にすればよい。「ジョブに見合った賃金」が支払われる場を探して回れば良いではないか。

 ④について。確かにその通りかもしれないが、私はむしろ、この機に乗じて、ここぞとばかりにガンガン進めてしまえ、とすら思う。

 ⑤について。ここは最大の問題であろう。評価制度を根本的に変えなければならないし、変えたところですぐに運用が適切に回るようになるわけでもないだろう。失敗と修正の連続であることは間違いない。それでもやらなければならない。やらないという選択は、「HRテクノロジーは活用しない」という選択をしたのと同等であることを肝に銘じなければならない。
 ちなみに、「研究職など短期間では結果が出ない職種は適正に評価してもらえるのか」という点については、ジョブ定義を丁寧に行っていくと「短期間では結果が出ない」タイプの仕事についても「行動ベースの評価」の軸を専用に設けやすくなるため、むしろ適正に評価されやすくなると考えるべきだ。
 休暇の取得についての影響、については、ジョブ型と休暇取得の仕組みとの関係性を私が理解できていないためコメントできない。

その他

ジョブ型管理は工業化時代の産物。デジタル時代に果たして最適かは疑問。デジタルトランスフォーメーションによって実現される新たなビジネスモデルを見越した組織管理と人事管理のモデルをしっかり検討すべき。

中高年を中心にリストラが進むだけ。メンバーシップ型にも良いところがある。新卒なら入社後5年間程度、中途入社なら40歳くらいまではメンバーシップ型で育成、その間にジョブ型のメリットデメリットをしっかり教育しながら、入社後5年経過後あるいは40歳以降にジョブ型かメンバーシップ型か選択できるのが理想。

「終身雇用」が基本とされてきたことから、社内でしか通用しない人材が多く、専門性が育ちにくいという問題がある。これを解決するために米国型のジョブ型を取り入れようとしても、企業に所属することで社会保障が担保されるという点が重視されている以上は受け入れられない。

労働市場全体の流動性を高めないと、管理職は仕事を追われる可能性が高まる。今のままの状態でジョブ型にするのは単に人件費圧縮の経営側の理論でしかない。

どうすれば生産性が上がるのか、「個」を伸ばすにはどうすれば良いのか、を考えることが優先されるべき。「ジョブ型」というのは手段であって目的ではない。

ジョブ型は、働く人間の既成の能力を前提にした発想。そこでは、協働による相乗効果や、個々の能力の伸張は期待できない。例えば、「クリエイティブな仕事」や「イノベーティブな創造」には向いていない。

大企業や「役所」のように、キャリア・ノンキャリアが別れているとか、各メンバーの業務が明確に分かれているなら良いが、そうでない中小企業ではジョブ型は難しい。職務定義書に記載されていない仕事を誰が拾うのか、という問題も残る。

「日本型」のジョブ型人事制度の可能性を探るべき。たとえば、勤務時間の20%を本来業務以外に充てる仕組みなどは参考にすべき。

「その他」の意見に対するコメント

 ①について。歴史をたどれば「工業化時代の産物」というのも事実としてはあるかとは思うが、何十年もの時を経てまた時代は大きく変わった。当時と最も大きく異なるのは、HRテクノロジーの存在である。時代は巡り、もしかしたらとても皮肉なことかもしれないが、「デジタル時代に最適」なのがジョブ型の管理(再びそうなった)といっても過言ではない。ジョブ型の考え方を基本に置きつつ、もちろんのことながらこの時代に合った組織管理や人事管理のあり方を探っていくということが必要である。

 ②について。「中高年を中心にリストラが進む」というのは、ある程度仕方ないだろう。そのようなことを全く予想してこなかった、ということもないはずだ。スキルのアップデートが出来ないものは淘汰される。ただ、「淘汰」といっても永遠に不要となるわけではなくアップデート、キャッチアップさえできれば誰でも(年齢、性別、その他さまざまな要素)に関係なく活躍できる時代の到来である。ただし、いきなりジョブ型の荒波にさらされるのではなく「緩衝期間」のようなものを設けることには私も賛成である。

 ③について。「社内でしか通用しない人材の養成」、すなわち「飼い殺し型人材育成」である。もはや、ひとつの企業に所属することが「身分の安定」を必ずしも意味しないのであるから、そのまま飼い殺されるよりは早めに自ら見切りをつけて(これは、組織に対する見切りと現状の自分に対する見切りの両方である)ある程度のリスクをとって新たなことにチャレンジしたほうが良いのではないか。もちろん、当然ながら企業側も努力しなければならない。具体的には、「社外でも通用する人材の育成」を惜しみなく行うことである。

 ④について。これもある種の「陰謀論」のように思えてしまうが、人件費を圧縮したいという経営側の想いは当然あるだろう。必要なスキルを有していない人材を、今までのように抱えておく余裕はないのである。浮いた人件費を内部留保に回すようでは目も当てられないが、競争力アップのために外部から優秀な人材を集めることに充てたり、社内人材のスキルのアップデートのところに投資するというのが真っ当な経営判断だ。ただ、労働市場全体の流動性を高めるというのは一企業だけでは出来ないことであり、社会全体の仕組みを大きくシフトさせていかなければならない。

 ⑤について。これには大いに賛同する。「生産性向上」と「個を伸ばす」、これら二兎を追うためにはHRテクノロジーの活用が不可欠だ。両者に重なる部分は、「真の適材適所の実現」である。これは人間のみによるアナログ方式では出来ない。準備作業として、ジョブ定義、スキルコンピテンシー定義が発生する。その延長で、結果としてジョブ型に寄っていくのである。

 ⑥について。「既成の能力を前提」にしたものとも一見思えるのだが、それほど単純なものでもない。少し先の未来を見据えて、これからはこのようなスキルも必要になるだろう、という発想で未来に向けたジョブ定義を行うことも可能である。そのためには、「ジョブライブラリー」「スキルライブラリー」のようなもの(ベンチマークデータに近いモノ)を活用すると良い。いきなり「未来」といかなくとも、まずは自らの現状のスキル棚卸しをしてみるだけでも、「協働による相乗効果や、個々の能力の伸張」がより一層期待できると断言する。また、ジョブ定義を行うとクリエイティブティが失われたりそういったものを表現できない、という関係には絶対にない。「クリエイティブな仕事」とは何なのか、「イノベーティブな仕事」とはいったいどのような役割を担うことなのか、必要なスキルは何か、これらについてもまずは言葉で表現してみることである。(話はそれからだ。)

 ⑦について。「中小企業ではジョブ型は難しい」という点については、ある程度首肯せざるを得ない。より正確に表現すれば、「ジョブ定義」ということ自体はやってやれないことはないのだが、そこまで細かく定義したところで役割分担を厳密にするほどの人数もいないし意味がない、ということになろう。ただしこのような場合であっても、自分自身のキャリア計画のために自らのスキルの棚卸しを行う、という観点からのジョブ定義にはぜひチャレンジして欲しい。他方、「職務定義書に記載されていない仕事を誰が拾うのか」という点についてだが、これは企業文化や個々人のマインドの問題でしかない。誤解されがちであるが、ジョブ型だと「間に落ちたボールは誰も拾わなくなる」という関係は必ずしも成立しない。

 最後に⑧について。同感である。そこでこちらの記事をご紹介する。


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