「ジョブ型」雇用、賛成/反対?のコメントに対する私のコメント
こちらの「日経ビジネス」の特集内で、
という試みが行われていた。50件を超えるコメントを拝読したが、どれも質が高く有益な議論がなされていると感じた。
せっかくの機会なので、私なりに「賛成」「反対」それぞれの意見の傾向を分析するとともに、僭越ながらそれらに対する自分自身のコメントを記載してみる。
※ご注意※
・原文そのままの引用は著作権の絡みで難しそうであるため、大意を変えることなく要約、あるいは「まるめた」表現としていること、また、私の主観で「不適切」と捉えた表現についてもマイルドな表現に修正している点、ご容赦ください。
・私なりにそれぞれの意見を全体的に読んだうえで、「だいたいこんなことが書いてあった」という私の視点での「まとめ」であるため、「一部だけ切り取っている」「曲解している」「勝手に別々の人の意見をマージしている」といった類のご指摘も控えて頂けますと幸いです。
・もし私のまとめ方に懸念や不安や不信感がある方はぜひ原文にあたることをお勧めします。
賛成意見
賛成意見に対するコメント
まず①について。大学でのキャリア教育や、入社後のキャリア開発、スキルアップの機会の提供ということが伴わないと、「準備不足」の従業員にとっては「ジョブ型」というものは脅威に感じられるかもしれない。ただしこれは、受け身の姿勢ではダメだ。制度が仕組みが整うまでずっと「準備不足」の状態のままで居て良いはずがない。社会に出たばかりの者も、中堅社員も、管理職も、はたまた高校生も含めた学生たちも、自ら進んで積極的に準備を開始しなければならない。(よくよく考えれば、これまでも十分に準備期間はあったのではないか?)また、「解雇しやすい」ということを企業側のみならず従業員側もポジティブに捉えて関連する法整備を支援しなければならない。
つぎに②について。スキルベースの評価制度に変える。「時間」や作業量による評価ではなく、成果(しかも、OutputではなくOutcome)による評価の仕組みに変更する。これらのために、ある程度の準備期間は必要だろう。ただし、失敗することも織り込み済みで「試しにやってみる」ということは今すぐ開始しなければならない。「お試し」をいきなり全社的にやるのはもちろん難しいため、一定以上のバンドとか特定の部署からとか、対象者を絞ってスタートさせるべきである。
③について。職種あるいは入社年次(というかSeniority)によって、いずれかを選択できるような仕組みが可能であればそれも良いのかもしれない。「個」を伸ばす。「出る杭」はさらに引っ張り上げる。ということの必要性はますます高まること間違いない。企業の競争力に直結する。ただし、ジョブ型をして「1人が1つのことに専念できる」と理解することには若干違和感がある。幹になるような専門領域を1つか2つ持ちながらも、他の領域もそれなりにそつなくこなせるようジェネラリスト的要素も併せ持つということは、ジョブ型でも十分可能なはずだ。
④について。特にこの点は賛否両論あるかと思うが、私はこの流れから入っても全く問題ないと思う。すなわち、コロナ禍 → リモートワーク半強制 → 仕事ぶりが見えにくい → 慌てて「ジョブ型」に飛びつくというパターンである。もちろん、本末転倒という見方も出来るし、短絡的だとか本質論じゃないとか、色々聞こえてきそうである。いや、それでも別に良い。どのみち、「ジョブ型」を誤解している人だらけだ。それでも、HRテクノロジーを本格的に活用するためにはジョブ型に寄っていくしかない。多くの関係者の誤解を完全に解き、多くの関係者をロジカルに説明して納得させるためにはこの先10年くらいかかりそうだ。そのころにはほとんどの日本企業が瀕死状態になるだろう(良い人材を獲得、維持できない、という観点で)。であれば、どのような入り方だって良いではないか。
ところで、「なぜHRテクノロジーの話とジョブ型の話が関係あるのだ?」という疑問の声もたくさんありそうだ。そこで、下記を紹介する。
⑤について。これこそ本質論だ。つまり、「機械的」という言葉がぴったりかと思うが、「個」を押し殺して自分に合っていない仕事、嫌な仕事も「まあ、そんなもんか」と半ば諦めて食い扶持を稼ぐために毎日淡々と働き続ける、というロボットのような暮らしは人間には相応しくない。「個人起点のキャリア開発」が重要だ。人の強みや特性、希望は当然ながら千差万別。究極的には、1,000人いれば1,000通りのキャリアプランを用意する。全くの絵空事と思うだろうか?必要なデータが揃い、必要な機能を備えた人事ソリューションを選択すれば決して夢ではない。そのためには、上の④でも触れた通り「ジョブ定義」や「スキルコンピテンシー定義」が必要なのだ。そうすると下地が整うことになるため、「ジョブ型人事制度」への移行がよりスムーズに行えるようになる。ちなみに、「ジョブ型への移行」が目的というわけではなく、結果として、自然とそちら側に寄って行くはずだ、ということである。
⑥について。優秀人材獲得・維持の観点で国際的競争力をアップさせるというのは、上記④⑤のようなことをしっかりと行った結果として後からついてくる、という程度に捉えたほうが良いだろう。
⑦について。これもあくまで「副次的効果」と捉えたほうが良い。ジョブ定義によって「責任範囲」(responsibility)が明確になれば、それによってサービス残業を減らしたり、さらにはパワハラ防止にもある程度効果ありとも言われている。「中間に落ちたボールを拾わなくなる」という問題については、「通常の職務範囲を超える分」としてむしろ明確化されるため、「縁の下の力持ち」的な動きをしていた人たちが正当な評価を受けられるようになるかもしれない。
反対意見
反対意見に対するコメント
①について。「安定雇用」というが、そもそも安定していると感じているのは単なる勘違いかもしれない。この時代において、いったいどのような業界のどのような企業が「安定雇用」を実現しているというのだろう。「スーパーエリート」から明らかに漏れているという自覚があるのなら、その組織内で「スーパーエリート」とまでいかなくても「エリート」に少しでも近づくための努力をすべきであるし、「エリート」のグループに入れるような組織に転職すれば良いではないか。努力もしたくないし、かといって転職も気が進まない、というタイプの人材を置いておくだけの余裕はどの企業にもない。
「チーム型」というスタイルのおかげでうまく行ってきた面ももちろんあるだろう。しかし、今後はどうあるべきか、そして、「チーム型」のせいでひずみが生じてしまった部分にもしっかりを目を向けるべきではないだろうか。
「できる人」へ仕事が集中し、その人が過剰労働に陥っていることが明らかなのであれば、周りの人が助ければ良い。そういった意味のチームワークを捨て去る必要はない。
仮に、ジョブ型の制度導入によって個人主義的な傾向が強まったとして、それによって「全体平均収入は下降し日本経済が縮小均衡に向かう」という関係が本当にあるのか、私はこの点についてコメントするための知見を有していない。
②と③について。これらはまるで何かの「陰謀論」のように思えてしまうが、仮にこれが「企業側にとって都合の良い制度」だとしても、そのままそれが「従業員側にとっては不都合な制度」であるかは分からない。むやみにそのような対立の構図を創り上げるのはいかがなものか。これを機に、自分に合った最適な場を真剣に考える機会にすればよい。「ジョブに見合った賃金」が支払われる場を探して回れば良いではないか。
④について。確かにその通りかもしれないが、私はむしろ、この機に乗じて、ここぞとばかりにガンガン進めてしまえ、とすら思う。
⑤について。ここは最大の問題であろう。評価制度を根本的に変えなければならないし、変えたところですぐに運用が適切に回るようになるわけでもないだろう。失敗と修正の連続であることは間違いない。それでもやらなければならない。やらないという選択は、「HRテクノロジーは活用しない」という選択をしたのと同等であることを肝に銘じなければならない。
ちなみに、「研究職など短期間では結果が出ない職種は適正に評価してもらえるのか」という点については、ジョブ定義を丁寧に行っていくと「短期間では結果が出ない」タイプの仕事についても「行動ベースの評価」の軸を専用に設けやすくなるため、むしろ適正に評価されやすくなると考えるべきだ。
休暇の取得についての影響、については、ジョブ型と休暇取得の仕組みとの関係性を私が理解できていないためコメントできない。
その他
「その他」の意見に対するコメント
①について。歴史をたどれば「工業化時代の産物」というのも事実としてはあるかとは思うが、何十年もの時を経てまた時代は大きく変わった。当時と最も大きく異なるのは、HRテクノロジーの存在である。時代は巡り、もしかしたらとても皮肉なことかもしれないが、「デジタル時代に最適」なのがジョブ型の管理(再びそうなった)といっても過言ではない。ジョブ型の考え方を基本に置きつつ、もちろんのことながらこの時代に合った組織管理や人事管理のあり方を探っていくということが必要である。
②について。「中高年を中心にリストラが進む」というのは、ある程度仕方ないだろう。そのようなことを全く予想してこなかった、ということもないはずだ。スキルのアップデートが出来ないものは淘汰される。ただ、「淘汰」といっても永遠に不要となるわけではなくアップデート、キャッチアップさえできれば誰でも(年齢、性別、その他さまざまな要素)に関係なく活躍できる時代の到来である。ただし、いきなりジョブ型の荒波にさらされるのではなく「緩衝期間」のようなものを設けることには私も賛成である。
③について。「社内でしか通用しない人材の養成」、すなわち「飼い殺し型人材育成」である。もはや、ひとつの企業に所属することが「身分の安定」を必ずしも意味しないのであるから、そのまま飼い殺されるよりは早めに自ら見切りをつけて(これは、組織に対する見切りと現状の自分に対する見切りの両方である)ある程度のリスクをとって新たなことにチャレンジしたほうが良いのではないか。もちろん、当然ながら企業側も努力しなければならない。具体的には、「社外でも通用する人材の育成」を惜しみなく行うことである。
④について。これもある種の「陰謀論」のように思えてしまうが、人件費を圧縮したいという経営側の想いは当然あるだろう。必要なスキルを有していない人材を、今までのように抱えておく余裕はないのである。浮いた人件費を内部留保に回すようでは目も当てられないが、競争力アップのために外部から優秀な人材を集めることに充てたり、社内人材のスキルのアップデートのところに投資するというのが真っ当な経営判断だ。ただ、労働市場全体の流動性を高めるというのは一企業だけでは出来ないことであり、社会全体の仕組みを大きくシフトさせていかなければならない。
⑤について。これには大いに賛同する。「生産性向上」と「個を伸ばす」、これら二兎を追うためにはHRテクノロジーの活用が不可欠だ。両者に重なる部分は、「真の適材適所の実現」である。これは人間のみによるアナログ方式では出来ない。準備作業として、ジョブ定義、スキルコンピテンシー定義が発生する。その延長で、結果としてジョブ型に寄っていくのである。
⑥について。「既成の能力を前提」にしたものとも一見思えるのだが、それほど単純なものでもない。少し先の未来を見据えて、これからはこのようなスキルも必要になるだろう、という発想で未来に向けたジョブ定義を行うことも可能である。そのためには、「ジョブライブラリー」「スキルライブラリー」のようなもの(ベンチマークデータに近いモノ)を活用すると良い。いきなり「未来」といかなくとも、まずは自らの現状のスキル棚卸しをしてみるだけでも、「協働による相乗効果や、個々の能力の伸張」がより一層期待できると断言する。また、ジョブ定義を行うとクリエイティブティが失われたりそういったものを表現できない、という関係には絶対にない。「クリエイティブな仕事」とは何なのか、「イノベーティブな仕事」とはいったいどのような役割を担うことなのか、必要なスキルは何か、これらについてもまずは言葉で表現してみることである。(話はそれからだ。)
⑦について。「中小企業ではジョブ型は難しい」という点については、ある程度首肯せざるを得ない。より正確に表現すれば、「ジョブ定義」ということ自体はやってやれないことはないのだが、そこまで細かく定義したところで役割分担を厳密にするほどの人数もいないし意味がない、ということになろう。ただしこのような場合であっても、自分自身のキャリア計画のために自らのスキルの棚卸しを行う、という観点からのジョブ定義にはぜひチャレンジして欲しい。他方、「職務定義書に記載されていない仕事を誰が拾うのか」という点についてだが、これは企業文化や個々人のマインドの問題でしかない。誤解されがちであるが、ジョブ型だと「間に落ちたボールは誰も拾わなくなる」という関係は必ずしも成立しない。
最後に⑧について。同感である。そこでこちらの記事をご紹介する。
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