夜明けに嫌気が差したのは、これが初めてかもしれない
#読書感想文
いつの日だったか、飲み屋で知り合った女性は「とにかくラム酒が好き」と言っていた。当時の私といえば、酒はビールくらいしか分からなかったので、ラム酒なんていうものはもはやレーズンである。無論、ラム酒とレーズンは全く異なるものなのだけれど。
作中の乙女はラム酒をこう語る。そして飲み屋の女性は「この一冊に中学生の頃から憧れていた」と目をとろけさせた。私がこの一冊を手に取ったのはつい最近のことなのだが、彼女とこの本との出会いは15歳のときだったらしい。
きっと15歳の彼女はもうすでに、今の私よりも大人びていたのであろう。そう思えるくらいに、この本を初めて開いた27歳の私にとってもこの一文は「大人」であった。
私自身、中高生の頃から多少は本に触れ、いわゆる大人の世界を垣間見てきた。それでも彼女のように「大人になったらこれがしたい」という何かを本から得たわけではなかったように思う。当時の私なんてものは、月並みに、作中の色気じみたシーンに鼻の下を伸ばすことで大人に近づけるような気がしていた程度だ。そんな艶めかしい場面を除いては、もはや実家近くのコンビニの跡地に何ができるのかなんてことの方が、大人の世界以上に興味があったのである。
今、いわゆる大人として本を手に取ると「あぁ、このような人生はもう送れないのか」なんて胸が苦しくなる。乙女のように有り余る若さで京都の町をへべれけに疾走することもその一つだ。
ただ裏を返せば、いくら大人というものに明確な憧れを持っていなかったとはいえ、多かれ少なかれどこか大人に憧れていたからこそこのような一抹の寂しさを覚えるのだろう。
ラム酒を愛する乙女はずいぶん大人びて思えたけれど、どうやら女子大生らしい。そりゃ大学生なら、大人世界がめくるめくきらびやかな場所に見えよう。
もっとも光を明るく感じるためには、世界は夜でなければならない。そして夜だからこそ、見えないものは見えないままにその光に向かって歩を進められるのだ。
夜は短し歩けよ乙女。
人生の中で未来に向かって闇雲に暗中模索できる期間はそう長くない。大人と呼ばれるようになったせいか、こんなことを思ってしまう。
夜明けに嫌気が差したのは、これが初めてかもしれない。
(終)
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