本に旅をさせる
その女性は、一冊の本を宿に置いていった。彼女は時折、旅先に読み終わった本を置いていくのだという。
彼女は本を置いていく理由をこう答えた。実際、彼女の肩掛けポーチは文庫本一冊と財布が入れば御の字といった大きさだった。
私の経営する宿では、春先から古本の販売を開始している。あまり大きく宣伝しているわけではない。それでも、数少ない小さな情報をもとに彼女はふと足を運んでくれたのである。
私はライターが旅するなんて知らなかった。海に捨てられたライターが遠くの国で見つかるということなのか、それともとある喫煙者が旅人にふと「それ、やるよ」とライターを手渡しする状況を指しているのか。この真意はわからない。
ただどちらにしても、ライターの話が、旅情に思いを馳せる十分な材料となったことは確かだ。本を置いていった彼女からすれば、本に旅をさせることは「荷物を減らすこと」と同義なのだから、そこに旅情を感じるのはもはや野暮なのだろう。それでも、どこか私はこうして少し胸を膨らませてしまったものである。
彼女は本を置いていった。そして、一冊の本を買って帰った。
空いたスペースには、一冊の文庫本があった。
彼女によって選ばれた本は、きっと今旅をしているのだろう。いや彼女に旅をさせてもらっているという方が正しいのかもしれない。
そして、彼女はいずれまた、この地球のどこかに
と、私の宿から旅立った一冊を置いていく。彼女と本を見送ってからは、そんな気がするのだ。ともすれば、私は旅立ったあの本とまたどこかで再会できるのかもしれない。
私が今後この宿で販売する本は、これからどんな旅路を往くのだろう。また今、宿にある本はこれまでどんな旅をしてきたのだろう。
この世には、本に旅をさせる人がいる。本に旅をさせる人がこれからも存在するのなら、私、そして私の宿は旅する本を迎え入れる存在でありたい。
そしてまたこの宿をスタートに、本に旅をさせてやろうと思う。
(終わり)
★古本の販売のほか、貸本(無料)もやっております
香川の離島の農家民宿です
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