忘れるために急ぐ
私は未来の何を忘れたいのだろうか。
生き急いでいるのかもしれない
もう少しゆっくりでもいいんじゃない?
こんなアドバイスをもらうことは少なくない。
確かに時々、自分でも何をそんなに急いでいるのかがわからなくなることもある。
また人によっては
「君は先が見えすぎるのかもしれないけど、かといって、今をおろそかにしてはいけないよ」
とアドバイスをくれる人もいる。
私は何をそんなに急いでいるのだろうか。
現実は甘くない
今、私が掲げている目標とすれば
「旅を生産する」ということになる。
具体的に方法を示せば、島で不動産を借りて農泊事業を展開することだ。
目標を達成するにあたっては、農泊を謳う以上、農作物を栽培しなければならない。
とはいえ、島にちょうど農地というものはなく、雑草と共生しながら、数年をかけて土壌改良していく必要のある土地ばかりだ。
また農業を教えてくれる方はいるとはいえ、私が最年少という限界集落のこの島では、マンパワーは本当に自分一人という問題もある。
やはり、現実は甘くない。
だからこそ、最悪の事態も想定するし、様々な予想も立てる。
一方で、このようなことを考えていくと、気持ちがどんとんと億劫になる。
未来を考えるというのは、辛くもある。
今を楽しむ人たちとの出会い
ただ、このような感覚は初めてというわけではない。
数年に一度はこのような感覚に陥っているように思う。
逆に、「俺、生き急いできたんだな」と実感したこともある。
それはトルコの留学中だった。
トルコで出会った人々は生き急ぐ私からすれば、「今を楽しむ」人たちに見えた。
たとえば、私が20歳の時に出会ったトルコ人も、トルコにいたヨーロッパからの留学生も、ほぼみんな私より年上だった。でも学年は下ということも少なくなった。
つまり、年齢を重ねてから大学に入りなおしたという人が平気で存在したのである。
もう25歳だか、もう30歳だからといった言い訳は本来必要ないんだなと本気でそう思った。
他にも、町を歩けばパン屋の親父が店先でずっとバイクを磨いている。
なぜこんな平日の昼間に40歳くらいのおっちゃん達が紅茶を飲みかわしているんだ?という光景にもほぼ毎日遭遇した。
そして、やはり私のないものねだりかもしれないが、やはり彼らは「楽しそう」に見えた。
絶対に仕事に集中していないトルコのピザ職人
忘れるために急ぐ
改めて、なぜは私は生き急いでいるのだろう。
理由を探せば、それなりに根拠のある理由も見つけられると思う。お金とか夢とかみたいなものから。
ただどこかでそれだけでは腑に落ちないのは、未来を見ていると主張する私が、実は未来から目を背けているから部分があるからだと思う。
つまり、未来を忘れるために、今を急いでいるのだ。
先のことを考えたら、辛い。
だから、何となく今眼前にあることに必死になって、未来から目を背けるのだ。
確かに、私もこの意味では、今を生きているのかもしれないが、トルコで出会った人々のように「今を楽しんでいる」わけではない。
さて、私は未来の何を忘れたいのだろうか。
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先のこと考えすぎ!というアドバイスをもらうことが少なくない私の嘆きみたいな投稿です。
自分で言うのも変ですが、私の思考回路は、論理が自分や他人の感情に勝ってしまいます。
「こう考えれば、こうなる。だからこうする」
といった具合に。
このような思考回路の時、自分の楽しい・楽しくないという気持ちは、もう忘れ去ってしまっているのです。
だからこそ、もしかすると、私が忘れようとしてしまっているのは、「今を楽しむ」心の余裕なのかもしれません。
というわけで、本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。
また明日も宜しくお願いします。
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