noteに不安を書くということ
先日、5000スキ・閲覧数5万PVに到達しました。
本当にありがとうございます。
noteを本格的に再開しておよそ4か月でこの数字に至りました。
一つの節目として、今思うことを記録しておければと思います。
noteを毎日書くということ
毎日投稿も歯を磨くくらいにルーティン化してきました。
とはいえ、本音を言うと、ネタが思いつかない日もないわけではありません。
8月の前半は特にそのような日が多かったように思います。
俗な表現でいえば、絞り出して書くといったところでしょうか。
とはいえ、絞り出して投稿した記事は自分の中でも「うーん」と思うことが多くて、また頂戴するスキや閲覧数は少なめのように思います。
毎日noteを続ける難しさ
毎日でなくても、高い頻度でnoteを投稿し続けることの難しさは、以上のような点にあるように思います。
つまり、「絞り出した記事ほど、伸びない」
体力も気力も使ったのに、読んでもらえない。自分でも納得がいかない。
もはや2重苦ですね。
このような日が続くと、投稿することが目的化してしまって、「読者に楽しんでほしい・考えてもらいたい」といった投稿の本当の目的を忘れてしまうのです。
不安を記事にするということ
そんなこんなで目的を見失っていた私でありますが、最近ふと、
「もう不安とかも書いちゃえば、いいんじゃない?」
という思考が始まりました。
これまで、不安については、毎日自分の中には渦巻いているものの、それはあまり記事にはしないでやってきました。
もし記事にするにしても、最後は無理やりにでもポジティブに終わらせるというか、、、
理由としては、読者の皆様の気分を害さないようにするため。
ただ案外、自分も他人様のnoteを拝見していて思うのは、この想像は的はずれなんじゃないかと。
つまり、心が動く時というのは成功体験よりも、その人の不安や心配みたいなことが書かれた記事なのかもしれないということです。
だったら、自分も不安を文字にしてみようかと。
目の前の不安を違う視点でとらえなおすこと
とはいっても、「不安を文字にする」はまだまだ実験中です。功を奏すかもわかりません
一方で、自分の不安をnoteで文字にすることは、それを違った視点で捉え直すことなのかもしれないと思い始めている自分もいます。
つまり、課題に真正面からぶつかるのではなく、一歩引いて、違った角度から攻め直すということです。
noteで記事にする以上は、いくら不安を書くとはいっても、起承転結をつける・ストーリー仕立てにするといった工夫はやはり必要だと私は考えています。
裏を返せば、単なる愚痴の羅列を読者の方にお見せするのは、私は抵抗があるということです。
そして、何より、この起承転結・ストーリー仕立てが、違った角度の目線を課題に投げかけてくれるように感じているのです。
この作業を行うために、本や他人様のnoteを読んだり、過去の自分の経験を反芻してみたりすることが、課題から一歩引く勇気を与えてくれるように思います。
だからこそ、今の私にとって、noteを書くことというのは、「目の前の不安を違う視点で捉えなおす」ことでもあるのです。
ーーー
もちろん今後も農業の記録やエッセイ、コラムも投稿していきます!
その中で、たまには自分の弱さや不安といったものを一つの「読み物」として皆様に知っていただく、はたまた楽しんでいただければいいのかなと思っています。
あくまで今回の記事も一つの節目なので、何卒今後とも宜しくお願いいたします!
というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!
また明日もアクセスしてみてください!
いただいたサポート分、宿のお客様に缶コーヒーおごります!