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1人になりたい私と喫茶店のアップルパイ

アップルパイを通じて、一秒間だけ、私は圧倒的他人らの世界の住人となった。

一人になるというのは

どうすれば一人になれるのか。
一人を欲するくせに、私は昔から自分の部屋に一人で居るのがあまり好きではない。

なぜなら私の残骸が私の部屋にはありすぎるからだ。
あのとき買ったペンやまだ読めていない本、また面倒くさいからと洗わずに1時間程経ったマグカップ。

それらを目にして、

「そういえば」

とった具合に頭がこんがらがってくる。

だからこそ、自室を飛び出して、違う場所でわざわざ本を読んだり、ただぼーっとするのが好きだ。

しかし、そこにはいつも他人がいる。喫茶店にしろ、Mのマークのハンバーガー屋にしろ。

家に一人で居たとして

先日島生活で縁遠くなっていた喫茶店に久しぶりに足を踏み入れた。


店のカウンターから耳慣れない言葉が聞こえる。この町の紳士・淑女がおしゃべりを楽しんでいるのだ。

紳士はいつものと言いながらフレンチトーストを注文し、淑女は他の客が頼んだビーフシチューに心奪われ、自分もビーフシチューを頼んでしまったようである。

私はというと、BGMのように彼らの話を耳に入れ、本に目を移したり、「アップルパイ受付中」に心を揺さぶられていた。

もちろんだが整理整頓、そしてよく掃除された他人の店に私の残骸など一つもない。

そして感じる。

「俺、今、一人だ」

圧倒的他人の大切さ

私は彼らの名も顔も知らない。きっと二度と出会わない。だからこそ、私の人生を邪魔しないだろうし、仮に邪魔されたとしても、まさかあの喫茶店にいた紳士・淑女だとは気づくことはないだろう。

同じ喫茶店に居るという点以外は、圧倒的他人なのだ。

そうして、彼らと私は仲間ではないこと、そして同じコミュニティーの人間ではないことを自覚し、

「自分が一人なんだ」

と安心できる。カップや皿、つまり私の残骸もまたマスターが適度なタイミングで「私の物」から「他人の物」へと還してくれる。

喫茶店というものが日常から消えたからこそ、私が一人になれる空間はここだったのだと気づいた自分がそこにはいた。

アップルパイから見えた世界

一人を満喫している私は、せっかくだからとアップルパイを注文してみた。

すると、アップルパイを頼んだ私を紳士がちらりと見る。淑女が紳士のその顔を見る。この前にオムライスを頼んだ時には、一つも反応しなかった二人だったのに。

「この店のアップルパイを食べるとはセンスがいい」と褒めようとしたのか、それとも「お前ごときにアップルパイは100年早いと思った」のかはわからない。

でも、アップルパイを通じて、一秒間だけ、私は圧倒的他人らの世界の住人となった。そんな気がしたのである。

ただアップルパイを食べ始めるころには、私はまた一人になっていた。

ーーー
喫茶店を切り盛りする女将さんの着信音が

「ばあば、電話よー」

というお孫さんの声でした。徳島県三好市池田にある喫茶店での出来事でした。

というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!

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