アート制作は「子育て」か「子作り」か
絵を書いているときは子作りで、絵が誰かの手に渡ってからは子育て
「子育て」か「子作り」か
絵や器など何かしらアート作品を生み出す仕事を時に「子育て」に例えたりする。そのため、その作品の生みの親である作家(クリエイター)によっては「自分の作品は、自分の子供みたいなもんですから」なんていう表現をする人もいる。
さて、先日、同じような表現をとある作家が口にする場面に居合わせた。彼はときおり絵画を自主制作して発表しているという。
せっかくの機会なので、私はその作家に、かねてからの疑問を投げかけてみた。
「子作り」を人に見せられるか?
彼と出会うまで、傍からそれを伺い知る限り、私の目には制作という行為は「子作り」のように映っていた。
例えば絵にしても器にしても、ゼロから何かを生み出すという点で、それは生物の生殖活動のように思えてくる。また今回話を聞かせてくれた作家も、
と言っていた。人間の親たちは子を他人に見せる、もっといえば自慢する。ただその子という存在は、ヒトという生物としてみれば、親たちの生殖活動すなわち子作りの産物でもある。子作りの話は恥ずかしい。ただ生まれた子どもは誰の目に触れても問題ない。
彼の話は私の直感にどこか確証を与えてくれたような気がした。
「子作り」の先にあるもの
当の私は制作活動をしていない。だから制作は完成がゴールだと思っていた。すなわち、子作りをして出産がゴールだと認識していたわけだ。
ただ実際の子作りで、出産がゴールであるわけがない。そこから子を育てるフェーズに突入していくのだ。それはきっと制作活動も同じなのだろう。
生まれた子が今後どのように成長していくか、それを見守るのも作家の務めらしい。
私も作品をともに育てる
実はというと、私の家にもとある画家が描いた一枚の絵がある。
私はその画家に「絵っていつから絵になるんですか?」と尋ねていた。それはきっと完成した絵だけを絵として認識していたからこそ、このような質問が湧いてきたのだろう。
ただ今改めて「絵が誰かの手にわたってからは子育て」という考えを見つめ直すと、私もまた子、つまり作品のを成育を見届けなければならない気がするのだ。
ただそれはもちろん親としてではない。親は無論、絵を描いてくれた画家である。だとすれば、私はきっと子を一緒に見守る「地域の人」くらいでいいのだろう。
親のようにアートに接しろと言われるとたじろいでしまうが、地域の人くらいの距離感ならアートをもう少しライトな気持ちで楽しめるような気がしている。
もっとも子育ては、地域ぐるみで行う方が良いらしい。
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★そうそう野菜の栽培は子育て?子作りどちらなんでしょう?
個人的には「子育て」です。だって、野菜の親はやはり野菜なので。
野菜の栽培もまた、野菜たちの子育ての手伝いくらいなのかもしれません。
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