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感覚の均質化と3.5点

昨今ECサイトを代表に口コミ、もはやそれ以上に「この商品は平均~点の評価を獲得しています」なんていう指標が極めて大きな力を持っているように感じる。つまり、顔も知らない誰かの感覚的な数値に、心が揺さぶられているのである

また飲食店のまとめサイトをみると、「3.5点以上の口コミを獲得したお店」なんていう題で特集が組まれることまである。ただ、この得点率70%、すなわち3.5点/5点はその提供する料理によって異なるのではないだろうか。たとえばパクチー料理専門店が平均3.5点を記録したとする。

 「パクチーという好き嫌いが分かれる食材で平均点が高いなんてすごい!」

といったポジティブな目線でこれを捉える人もいるのだろうが、私のような人間は、

「パクチー料理専門店なんてそもそもパクチー好きな奴しか行かねぇだろ。平均点はそりゃ高くなる」

なんて思ってしまうのだ。無論、この数値をどう読み取るかは人それぞれだ。他方で、それを他の形態の飲食店と同列に比較していくのは、感覚の均質化を招いてしまうとも考えている。

さて、ラーメンやカレーはパクチーに比べれば苦手という人が少なく、もはや好物であるといい人のほうが多いだろう。そのため、もちろん競合がより多いわけであるから、その中でいくら絶対評価とはいえ、3.5点を叩き出すのはパクチーよりも難しいはずなのである。すなわち、ラーメン屋の3.5点とパクチー専門店の3.5点を同列に比べるにはその比較の土俵が整っていないのだ。

しかし、私自身もただなんとなくこの3.5点を目にすると「ここ、おいしいんじゃねぇか」と思ってしまうし、逆に3.0という数字を見ると「別にここでなくてもいいか」と敬遠してしまうこともある。挙句の果てには、馴染みの店やお気に入りの品を他人のつけた評点によって低く再評価してしまうことさえある。

数字は確かに常に同じ解釈を与えてくれる。同じ何かを見て、日本人もナイジェリア人もロシア人も同じ解釈ができるのは、この世ではおそらく数字ないしは数式だけだ。これは数字がもたらす均質化の利点である。

しかし、ときにその数字が私たちが何かに下す評価であったり、はたまたその評価のもととなる感情さえをも均質化してしまってはいないだろうか。私たちが求めているのは他人の熱のこもった意見なのか、それとも無機質な数値なのか。それがいま、分からなくなり始めたところである。

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先日宿を数件運営する人が

「大手の旅行予約サイトに載ってなかったら、宿なんて存在しないのと同じですからね」

と仰っていました。なるほどなぁと思う反面、どこか寂しさを覚えたのは気のせいでしょうか。多方面で私たちの生活やビジネスは均質化に抗えないのかもしれませんね。

よければ昨年、こんな記事を書いてました。

というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!

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