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学生に対する「社会人マウント」やめませんか?

学生アルバイト=「余った時間に働く」
就職=「働いたら余りがもらえる」

「社会人マウント」なんて消えてしまえばいい

これは今も、そして私が学生だった頃も常に考えていることだ。
本当にこんなマウンティングは無意味である。「働くとは何か?」を会社や組織に勤めているか否か程度でしか語れない自称社会人たちに、私は何人も出会ってきた。そして、このような輩は「社会人と学生は違う」と謎発言を繰り返すのである。

私からすれば、そもそも彼らの言う社会人(=勤めをしている者)と学生を同じ土俵で比べること自体が間違っているのである。

就職の意味するところ

改めて断っておくが、以下は学生に対する「社会人マウント」ではない。私は社会人という言葉がこの世で一番嫌いである。他方で、思考実験として、労働を「誰かに雇われること」と定義すると、

就職=他人が決めた労働と余暇のシステムに半永久的に組み込まれること

と捉えることもできる。もう少し踏み込んで表現すると、就職し働くということは、「誰かに雇われ、そこでの労働の対価として、カネと余暇(休み)を得る行為」でもある。そのため、究極的に労働者は、労働と余暇に対して自己決定権を持ち得ないということになる。
もしこのシステムが嫌、つまり労働と余暇のバランスを自分で決定したい人間は、基本的には雇用を拒むしかない。つまり、自営業者や経営者として生きていくということだ。

ただ2020年11月時点で、全就業者6707万人のうち雇用者は6017万人、つまり日本の働き手の約90%がこのシステムに生きていることを考えると、就業者の多くは雇われの労働者である。そのため、社会人マウントしてくる輩の大半もやはり労働者であることが分かる。

※就業者=自営・雇われ問わず、何かしらの仕事をしている者

学生の本分、労働者の本分

労働者が、労働と余暇に対して自己決定権を持っていないという前提を踏まえると、ついに学生の立つ土俵との違いが鮮明になってくる。

労働者にとって本分は何か?それすなわち、労働である。つまり、労働者として就職すると良くも悪くも雇用先での「働く」が人生の大半を占めるようになるということだ。

学生時代のアルバイトの多くが「余った時間に働いていた」のに対して、就職した労働者は「働いた時間の余り」を考え始めなければならない。これこそ、労働者として就業すること(非正規・正規共に)が人生にもたらす最大のパラダイムシフトの一つである。

※本分→それなしでは実現不可能な状態。学生の場合は、労働をやめても学生でいられるが、労働者は労働をやめると労働者ではなくなる。

学生には学生の働き方

私が「社会人マウント」を否定した理由も、このパラダイムシフト、すなわち認識の抜本的変容に依拠している。つまり、「余った時間で働く」学生たちに対して、働くが本分の労働者がマウンティングするのは、議論としてお門違いも甚だしいということだ。

学生には学業という本分がある以上、正確には「学業の余った時間で働く」のが彼らの労働のあり方であり、「働いた結果、余暇を与えらえる」人間とは同じ土俵に立っていない。だからこそ、社会人マウントなどは意味を成さないのである。

もし私の読者の中に学生さんがいて、誰かに「学業なんて何の役にも立たない」というマウンティングをされているのなら、どうぞ心の奥でそいつを憐れんでやってほしい。

なぜなら、そんな輩は学生時代に本分である学業に力を注げなかったくせに、貴方の上に立とうとするうぬぼれ社会人、失敬、自称社会人だからだ。

最後に蛇足かもしれないが、記事の冒頭で社会人(=勤めをしている者)という定義を示したのは、社会人という言葉自体が「意味があるような意味のない」言葉だからである。

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というわけで、今、市役所にアルバイトとして雇っていただく労働者として生きながら、自営業者の道を探る私なりの考えでした。もちろん、自営業者が良くて、労働者が悪いなんて言いたいわけではありません。

悪いのは、社会人というワケのわからない言葉でマウンティングする行為です。これは自営業者でも、労働者でも然りです。なぜなら、何回も言いますが、学生の本分は学業だからです。
ただ、自営業者は学生的な「余った時間で働く」に近づきやすい分、そのマウンティングには有効性を完璧には否定できません。

今回は議論の前提や言葉の意味をなるべく定義しながら論を広げました。社会人や普通といった個々人間で認識の異なる言葉を議論するには、前提や定義を明確にすることが議論の有効性を担保すると私は考えています。

というわけでご清読ありがとうございました!

実は大学院生時代、noteを一瞬だけやっておりまして・・・前職の入社式の前日に書いた記事があります(投稿日は全く違いますが)。

また労働と余暇に関してはこんな本を・・・

私が学部時代を過ごした和歌山大学観光学部で名誉教授をなさっている山田良治先生の本です。観光は雇われ労働による余暇の産物と捉えることもできます。

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