見出し画像

「意識とかどうでもいい系」の主張

僕、意識は高くないんです。

とか言ったら怒られますかね?

「意識が高い人」とかみ合わない


島暮らしをしたり、毎日note更新をしていると、ときどき、いわゆる「意識が高そうな人」がメッセージをくれたりする。

そういう人というのは、起業したり、投資したりという目標を持っていて、私も一応は自営を目指しているのでどうやら仲間意識をお持ちのようだ。

ただ、私が常に感じるのは、彼らと私の温度差。

つまり、彼らが高くて、私が低いのだ。

彼の際限ない上昇志向は素晴らしいものだが、どこかで「頑張ってください、、、」となってしまうこともある。

「意識高い系」の人、ごめんなさい。

地域とか世界の前に自分

彼らの夢は素晴らしい。地域や世界に貢献したいという気持ちも人一倍、いや人百倍あるかもしれない。

それを否定するつもりも、あざけるつもりもない。

ただ、今の私は「自分」のことで精いっぱいなのだ。

地域や世界が大前提になる人の思考回路はこんな感じである。

「地域がよくなれば、地域内のコミュニティもよくなって、ひいては自分も幸せになる」

いうなれば「大⇒小」で物事を考えている。

私はどちらかというとである。「小⇒大」であり、ボトムアップな考え方だ。

「自分が幸せなら、コミュニティ内の近しい人のことも慮ることができるだろうし、そんな仲間が増えれば地域はよくなっていくだろう」

一応、私もいずれは「自分」のこと以外のことも考えられる人間になりたいとは思っているが、ただそれは家族や仲間、将来的には自分のお客さんくらいの範囲であって、残念ながら数万単位の地域また億単位の世界のことまで考えるつもりは毛頭ない。

人類みな兄弟的な思想を持っていればよかったのだが、どうやら私にとっては、何の接点もない人たちは「哺乳類サル目ヒト科の生物」に思えるときもある。

また、もし自分が何十年後かに外国に居を移したとしても、やはりそこでもご近所さんや距離の近い仲間のことを第一に考えたいと思う。

目標年収に届いたら、休みたい

思考のアプローチが異なる以上に、「意識高い系」人達とのずれを感じるのが、収入に対する考え方である。

「意識が高い」人達は利益を手にすれば、それを元手にもっと大きな事業に投資しようとするのだろう。
おそらくこのような人たちは、1000万円が目標年収で、もしその目標が達成されたなら、次は年収1500万円を目指すのだと思う。

私は、目標年収に到達したら、それ以上働くつもりは1ミリもない。
そして彼らと違い、目標も低い。具体的に言えば、年収400万円、手取り300万円である。正直、もう少し低くても満足できると思う。

島での生活なら年収400万円もあれば、家族ができても十二分に暮らせるだろう。旅行にだって行ける。

どうやら、都会の摩天楼を見下ろすよりも、島の峠から瀬戸内の島々をボーッと眺めている方がよっぽど私には合っているように思う。

もし私が年収増を目指す時が来るとすれば、家族の大病か宇宙旅行を決意したときだろう。

それ以外ならの理由なら、私は無理には働かずに、冷房の効いた家で次なる旅先にじっくり思いを馳せたい。

意識とかどうでもいい

意識が高い人からすれば、私はきっと意識が低い。

一方で、私は「意識とかどうでもいい系」なのだ。

自分なりの目標を達成できるのなら、意識の高低は気にしない。
理想としては、一喜一憂せずに着実に歩を進めたい。

私の今の実情は、歩を進めているどころか、次の一歩を右足から行くか・左足から行くかの足踏みしているような状況である。

だからこそ、何をもって意識が高いとか低いとかを判断するのかは不明だが、実態を伴わない何かに振り回されるのも御免だ。

意識の高低で一喜一憂したり、イライラしてしまうくらいなら、自分の目の前の人や景色との時間をゆっくりとれる人間でいたいと思う。

やっぱり、意識とかどうでもいい。
意識なんてあってもなくても、やらないといけないことはやらないといけないし、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いなのだから。

ーーー

自営で目標年収を決めちゃうってどうなんでしょう?

夢ないんですかね?

疑問は尽きませんが、「自分が納得してれば、それでいい」というのが私の考えです。
納得してれば、嫌いなことも乗り越えられるといったところでしょうか。

というわけで、本日はこれにて!
お読みいただきましてありがとうございました!

明日も宜しくお願いいたします。

この記事が参加している募集

いただいたサポート分、宿のお客様に缶コーヒーおごります!