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消去法は私の「自分らしさ」

きっと私の自分らしさは、これまでもこれからも後ろから私を追いかけてくる。

自分らしさを考える

少し先になるが、とある方面から「自分らしく生きる」について話してみませんかという依頼をいただいた。とはいえ、私自身は、自分らしく生きているという自覚もないし、「自分らしく生きたい」と強く願ったことはなかったように思う。

他方で、ライフスタイルを特集したメディア、特に地方移住関連の雑誌では「自分らしさ」を求める動きを感じずにはいられない。
もちろん自分らしさを強く願ったことのない私でも、そのようなメディアに触れると「自分らしく生きてみたいなぁ」なんて思ってみたりもする。だからこそ、まさかそれを語る側に回るとは夢にも思わなかった。

残り物の人生

改めて自分の四半世紀を振り返ってみると、私の人生は消去法の連続だったように思う。

野球部が地元の中学校にないからと始めた陸上競技。
高校大学も第一志望には手に届かず、とりあえず受かった学校に通い始めた。
トルコ留学も、第一渡航希望先だったイスラエルの情勢不安で計画が頓挫し、次なる留学先として選んだ国だ。
就職するなら新聞記者になりたいと思っていたが、新聞社の採用試験は受からず、最終的には新卒で家具メーカーに入った。
また今の島暮らしもパワハラのトラウマで「組織で正社員として働くのは一旦止めよう」というところから始まっている。
私が個人事業を起こしたのは、島で雇ってくれるのはアルバイトだけだったからだ。
そして、その選んだ事業も、島で何とかお金になりそうだと思った農業と宿泊業である。

振り返れば振り返るほど、上手くいかない人生だなと思う。自分なりにその時々で全力でやっているつもりだけれど、気が付けば残された選択肢を生きている。これだから、自分らしく生きているという自覚がなかったのであろう。
だって、願いは叶わないのだから。

私を形作ってきたもの

とはいえ、いまそんな私が誰かに自分らしさをを話すことになった。だとすれば、この消去法的な生き方こそが「自分らしさ」なのだと語るのもいいのかもしれない。なぜなら、

陸上競技は心がすっきり折れるまで6年間も私の相手をしてくれた。
不本意ながら入った大学で学んだ観光学で、最終的に大学院で修士号を取得した。
トルコ留学中の経験は大学院に進学する契機になった。
新聞記者にはなれなかったが、今こうして月間2-3万回、私の記事を読んでくれる方々がいる。
またそんな喜びを感じていると、ついにとある新聞が私を取り上げてくれるらしい。
また勢いで始めた農業も思いの外、性に合っていると思う。
そして、宿の運営はまだまだ分からないけれど、前職の同期が連絡をくれたり、記事を読んで手伝いに来てくれる方も現れたので何とか形にしたいと思っている。

自分らしさは私を追いかけてくる

確かに願いは叶わない。けれども、結果的に、私は私なりの生き方に案外満足しているようだ。たとえ、この自己満足が傍から見れば自慰行為にみえたとしても、無理に自分らしさを求めてあくせくするよりは健康的ではないか。

だとすれば、消去法的な選択も人生の一つとして認めてあげたいと私は思う。なぜなら、後から私の人生振り返ってみると、それぞれが一つの思い出として認識出来ているからだ。

きっと私の自分らしさは、これまでもこれからも後ろから私を追いかけてくる。

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You play with the cards you're dealt..Whatever that means
ー配られたカードで勝負するっきゃないのさ。それがどういう意味であれー

この言葉は知っている方も多いかもしれませんが、PEANUTSのスヌーピーの言葉です。私もよくこの言葉を思い出します。
この言葉が人気を得ているということは、願いは叶わないながらに生きている方が少なくないのかもしれませんね。

というわけで本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。

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