誰がために花は咲く
春になるべく多くの花をもたらすためには、すでに咲いてしぼんだ花をがくごと処分したほうがいいと耳にしました。
咲いてしぼむというと、なんだか響きが悪いですが、これは実や種をつける準備なわけで。逆に言えば、花の処分は結実に体力を使わせないということでもあります。
他方で、唐辛子農家の私は、そんな実や種を普段商品としているのです。そのため、摘まれたビオラをみて、
「種を残そうとするビオラに、花以外はお役御免。逆に唐辛子には実を残せと伝える自分のエゴは膨張しきっているな」
なんて思うのです。
ただ明日もきっとしぼんだ花を摘む。そんな気がします。
なぜなら、これこそが
「唐辛子とビオラが植物で、私が人間である」
という事実なんだろうなと思うからです。
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いつもは1000-1200字を一つの基準に記事を書いているのですが、今年からは短めverも書いていこうかなと思っています。我ながら考えたことを論理的に説明するのは得意ですが、
思ったままをそのまま書く
ということをあまりしてこなかったので。無理をしてまで説明しないという勇気も持ってみようかなと思っています。
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