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こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

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日常の疑問や問題意識、抽象的な問いをあーでもない、こーでもないといいながら、簡潔で読みやすいエッセイにまとめます。 どうぞ、肩の力を抜いてお読みください。 きっと何か発見があり… もっと読む
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2020年8月の記事一覧

年間730回も同居人の歯磨きを目にしていたという事実

一人暮らしで見なくなったもの。 他人の歯磨き 今暮らす家では、「シャカシャカ」という音は、一日に2回だけしか響かない。 一人暮らしで見なくなったもの。 他人の着替え 服を着る・脱ぐという動作は当たり前過ぎて、自分の中では、もはや無自覚のうちに行われている。 自分の服しかない洗濯機をみていると、なんとなくそう思った。 一人暮らしで見なくなったもの。 他人の睡眠 いつ何時に冷蔵庫を開けようが、誰も私を咎めない。 電気だっていつでも点けられる。 歯磨きは一日2

忘れるために急ぐ

私は未来の何を忘れたいのだろうか。 生き急いでいるのかもしれないもう少しゆっくりでもいいんじゃない? こんなアドバイスをもらうことは少なくない。 確かに時々、自分でも何をそんなに急いでいるのかがわからなくなることもある。 また人によっては 「君は先が見えすぎるのかもしれないけど、かといって、今をおろそかにしてはいけないよ」 とアドバイスをくれる人もいる。 私は何をそんなに急いでいるのだろうか。 現実は甘くない今、私が掲げている目標とすれば 「旅を生産する」

過去から今を「判断」し、未来に向かって「決断」する

判断と決断って何が違うんだろう? 判断と決断の違いを見つめて現在は色々と頭を抱えているが、一応答えを出したり、自分を慰めながら何とか選択をしている。 頭を悩ませているときは、他人の能力というのがうらやましく見えるもので 「この人は決断力があるな」と思ってみたり、 「この人は判断力が素晴らしい」と感心してみたりする。 そんなことを考えていると、ふと疑問がわいてきた。 判断と決断って何が違うんだろう? 判断の意味判断の「判」という字。 これはいわゆる「判る」という意味

今年の夏を日本一楽しみにしていた男

感情は言葉を変えてしまうから。 コロナ禍が続く昨今、祖父は孫に「帰ってくんな」と言われたらしいのです。 コロナ禍と島このコロナ過、旅行に帰省、そしてちょっとした飲み会までも自粛をしたという方は多いのではないでしょうか。 私が住む島「さぬき広島」も例外ではなくて、市役所・地元自治会から「不要不急の来島自粛願い」が出されました(8月25日現在継続中)。 なにせ高齢者率86%の島ですからね、、、 私自身も、日中は丸亀市の臨時職員として働いている手前、両親や祖父母のいる大阪に

自由帳は本当に「自由」なのか?

自分は「自由とは何か?」を議論できると思っている人へ。 それ、単なる自己満足じゃないですか? 自由帳使いますか?少し前だが、ふとネットニュースを読んでいると 「自由帳メモ術」 なんていう記事を見つけた。 記事が言うには、無地の紙を使えば、頭が整理しやすくなるという。 これまで罫線ノート(いわゆる横線の入ったよくあるノート)、方眼ノートを愛用してきた私は、自由帳についてはチャレンジをしていこなかった。 とはいえ、ただ何となく「自由帳でメモ取ってる、ってかっこよくない

好きな表現「読後感」

読後感を私なりに少しお話したい思っています。 読後感という言葉との出会い「読後感」、私のとても好きな言葉。 読後感とは何か?と聞かれても、基本的には文字通り「本を読んだ後の感覚」だとは思うのですが、それでは何が何だかですよね。 私も何が何だかと思っていたうちの一人だったのですが、『サカバナ』のキャッチフレーズに出会ってから、読後感という表現にほれ込んでしまいました。 「二日酔いのような読後感」 この表現を見た瞬間に、買いました。 せっかく本を読むのに、胃酸が不愉快に

ポスターの中のあの女優は誰を見ているのか?

他人の目線が私の不在を存在へと導いてくれているのかもしれません。 島とポスター「街」には色とりどりのポスターがある。 おもちゃにゲーム、食品にイベントと、ポスターは何かを人に訴えかけようとしているのだろう。 島の人は時折、丸亀市の中心部のことを「街」と呼ぶ。丸亀市に属する離島ではあるが、島と街は全く違う世界だ。 もちろんこの街にもポスターが沢山ある。 移住前に過ごした大阪は丸亀よりも遥かにポスターに溢れていたのであろうが、全く気にはしていなかった。大阪のような大都市では

一度失敗してから質問したらダメですか?

最初から答えを教えられると冷めてしまうのです。 「自分で何かする前に誰かに聞きなさい」子どものときから口酸っぱく私は、この言葉を言われ続けているように思う。 「自分で何かをする前に、誰かに聞きなさい」 それはおそらく何かと私が失敗をしまくるからだと思う。 もしくは答えを知っている人からすれば、失敗になるのが目に見える方法を私が実践しようとしているからだろう。 ただ、こればかりは直らないのだ。 つまり、最初自分でトライして、一度失敗しないと気がすまない。 失敗した

「今を楽しむ」難しさ

今の生活は楽しいか?と聞かれると、楽しいと答える。 農地の開拓は30分に一回は途方に暮れるが、雑草だらけだった土地が、土色に染まっていくのはなんだかんだ充実感がある。 また島民がくれる野菜や果物は、これまで私が食べてきたそれに比べれば、比べるのが申し訳ないくらいにおいしい。 そして、自分で育てた作物もやっぱりおいしい。 ただ、楽しいという事実とは裏腹に、 今を楽しむために、今を生きてはいない とも思っている。 私には私なりの夢みたいなものがある。 それを実現するた

今が一番つらいから

今が一番辛いらしいので、もう少しだけ踏ん張ってみようと思います。 先の見えない開墾作業フルタイムでの退勤後、毎日2時間程度、日が暮れるまで開墾作業に精を出す。 精を出すとはいっても、この猛暑。 30分も続ければ、へたばりたくなるような日が続く。 耕すだけならまだしも、雑草をひたすらに拾う作業というのは、本当に気が滅入るときもある。 10年以上も耕作放棄されていた農地は、そんな私をあざ笑うかのように固く雑草を抱きしめている。 コブシ(ハマスゲ)という雑草。 他の植物の

初めての投資が肥料になった話

投資したものを土にバラ撒くという所業・・・ 消費だけの人生私は今までの人生でいわゆる将来の利益を求めて、「投資」をしたことはない。 バイトにしろ、正社員にしろ、あくまで与えられた給与の範囲内で全てを完結させてきた。 つまり、ひたすらに消費に専念してきたということだ。 そのため、経営者や為替・株主投資のように、一旦手持ちを減らしてでも、将来の利益のためにお金を費やすということは、正直怖い。 そして、実際、金融商品に投資しようという決心は私にはまだついていない。 だが

子育ては順調ですか?

島の方から素敵な質問をいただきました。 育つ唐辛子少しづつ大きくなる唐がらしの芽。 最近となっては、目というよりも、もはや苗、ものによっては株になってきたかもしれない。 辛いことやもどかしいことも多々あるが、成長していく苗を見ることは一日の中で数少ない楽しみとなってきた。 指導してくれている農家さんが 「毎日見てりゃ、可愛くなってくるわ」 と言っていたが、私もどうやら例に漏れなかったらしい。 最も順調な株の一つ 子育ては順調ですか?先日、畑の横を通りかかった島

住む場所を選ぶという残酷さ

案外、住む場所って自動的に決まっているような気がして、、、 「行く」と「住む」は異なる「色んなところに行ってみたい」 そう思う気持ちとはまた別に、 「色んなところに住んでみたい」 という気持ちもある。 ただ当たり前かもしれないが、「行く」と「住む」は全く異なる行為だ。 「住む」は、人生の多くの時間を一つの土地に捧げるということである。 今の自分は、島で収入を確保して、長く定住したいと思っているし、 もっと言うと結婚して、子育てもしたい。 ただ移住前、こんな未来

ブックカバーで隠すなら

読書の際に、ブックカバーを使っている人はどのくらいいるのだろうか? 私は普段ブックカバーを使うタイプの人間ではない。 理由は明確である。 移し替えるのが面倒だからだ。 一応、格好つけてもう少し理由を探すと、せっかくの表紙のデザインを楽しめないという理由もある。0.0002%程度だが。 先日、久しぶりに電車に乗った。 島暮らしのおかげで、電車は21世紀の乗り物くらいに縁遠くなったように思う。 そんな現代を走る近未来の乗り物には、今も昔も、読書家たちが乗り込んでいる。 彼