一度失敗してから質問したらダメですか?
最初から答えを教えられると冷めてしまうのです。
「自分で何かする前に誰かに聞きなさい」
子どものときから口酸っぱく私は、この言葉を言われ続けているように思う。
「自分で何かをする前に、誰かに聞きなさい」
それはおそらく何かと私が失敗をしまくるからだと思う。
もしくは答えを知っている人からすれば、失敗になるのが目に見える方法を私が実践しようとしているからだろう。
ただ、こればかりは直らないのだ。
つまり、最初自分でトライして、一度失敗しないと気がすまない。
失敗した方が楽しい
答えを教えてくれる方は、きっと私の失敗を心配してくれているのだと思う。
また私自身も、最初から答えを聞いた方が早いとは思う。
ただ、一方で私は心底、このように思ってもいる。
失敗する方が楽しい
自力で得た情報をもとにトライする。そして、私は大体失敗する。
失敗すると、次はどうすればいいかを考える。
ときには絶望に暮れたりもするが。
ただ、このトライアンドエラーこそがたまらなく楽しいのだ。
エラーをしてはじめての誰かに質問をしたいと思うし、そこからまた次のトライもしたくなる。
逆に言えば、最初から答えを教えられると冷めてしまうことも多々ある。
答えを再現できるほど器用じゃない
単に私が頑固者という面も多くあるが、昔から答えを再現できるほど器用じゃないという諦めもある。
つまり、なぜその答えが凄いのかを理解するには、私は失敗しないと理解できないのだ。
答えの凄さは結果を残せることにある。
答えを知っていれば誰でもある程度は結果を出せる。
しかし、私は残念ながら、それほど器用ではない。
言う通りにしたくてもできないという本音がある。
つまり、最初から自分でトライしようが、答えを与えられようが、失敗はほぼ確実にしてしまう人間なのだ。
だとすれば、自分にとって楽しい方を選びたいというわがままが出てしまう。
加えて、同じ失敗とはいえ、答えを教えられて失敗したときの充実感の無さは、この世で一二を争うくらい嫌いな時間だ。
答えは頭から抜けてしまうけど
答えなんていつかは忘れてしまう。
でも、私は思う。
答えを導く方法は案外忘れない。
だからこそ、その方法を覚えるためには自分がトライしてエラーして、答えに近づこうとする必要があるのだ。
そのトライアンドエラーこそが方法なっていくはずだ。
誰かに聞けば、誰かどころかネットに聞けば答えなんてどこにでも転がっている。
本屋に行こうが、ウェブ記事を読もうが、心なしか「いかに」「どのように」という方法論やハウツーばかりが人気になっているように思う。
皆、答えを欲しているのだろうか。
しかし、私は逆に、こんな時代だからこそ、失敗する楽しみを大切にしたいのである。
なぜなら、答えは自分で探すものだからだ。
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失敗したくない気持ちは私にもありますが、それ以上にチャレンジできない方が苦痛というのが私の気持ちです。
私は失敗しないと覚えないという出来の悪い人間です。
今後は失敗と経済的損出が表裏一体となって表れてくると思います。
夢見がちなことばかりは言ってはいられませんが、答えばかりを求めるなんてことにはならないように気を付けたいなと思っています。
というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!
また明日も宜しくお願い致します!
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