こんなやつもいるから大丈夫です、知らんけど

166
固定された記事

分かり合えなくても、分かち合うことはできる ~「ねじれの位置」を目指して~

私とあなたは「分かり合う」ことができるだろうか。 私はこれまで、あなたと「分かり合いたい」「分かり合えるはずだ」と信じて生きてきた。きっとそれが、私にとっては、あなたという存在に関心を注ぎ続けるエネルギー源だったように思う。 しかし、25歳になろうかという頃、私はこの信念を覆すこととなる。 私は他人を理解できない私は他人を理解できない という事実を私は知らされる。発達障害。医学的な見地からの診断である。 その特徴の一つに、会話や言葉の文脈やニュアンス、また他人の顔色や

スキ
23

ナナメの昼過ぎ

 #読書の秋2021 #ナナメの夕暮れ 『ナナメの夕暮れ』の読了後、カラオケルームの会計を済ませることにした。 私と異なる一冊オードリー・若林正恭さんの『ナナメの夕暮れ』をようやく読んだ。 もちろんとても今日深い内容であったのだけれど、他方で、 と思ったのも事実である。これまで彼のエッセイはすべて手に取ってきたのだが、「そうそう、これが言いたかった」ということが極めて多く、実際私の本棚の最前列に陳列してもいる。ただ『ナナメの夕暮れ』は「ちょっと自分とは違うかも」といった

スキ
46

何事も経験だけど、経験すべきことが多すぎる件

やらないよりはやってみた方がいいし、 失敗も重ねた方がいい。 私もなんだかんだそう思う。ただ、なんか経験すべきこと多くないか? 最近、世の中自分の知らないことだらけだなぁとよく思う。改めて。 それは昔ながらの料理法であったり、図書館で見向きもしなかったジャンルであったり。ソクラテスは無知の知の存在を指摘したが、私からすればこの現代は「自分って何にも知らねぇな」と思わされる場面だらけのような気がしている。 古い本や高齢者の武勇伝はまさしくその要因だ。かくして途方に暮れてい

スキ
26

「戦時中もトイレしてたんだよな」

当時の戦争やその戦禍が圧倒的な過去となっていた トイレに関する追憶「戦争中もトイレしてたんだろうな」 なんて思った自分がいた。 これは筆者が大学院生時代、広島平和記念公園にて、現地のガイドと観光客による会話を録音していた場面の追想である。 「中島地区」と生活広島平和記念公園・平和記念資料館は広島県広島市の「(旧)中島地区」にある。公園は公園である以上、そこに今住民はいない。しかし、この地区には、原爆投下前までは多くの商店が軒を連ね、また約4400人もの人々が生活をして

スキ
25

一眼レフをもう一度 〜モンテネグロ・コトルを旅したあの日から〜

「なんでこの絶景をファインダー越しで見てるんやろ」 港町・コトル20歳が終わろうという頃、私はモンテネグロにいた。 トルコ留学中に大学の長期休みを利用して旧ユーゴ圏に旅に出たのである。 モンテネグロの海沿いの港町・コトル。もし私がオススメの旅行先を選ぶとしたら、この町を選ぶと思う。 城壁に囲まれた旧市街は、日本からやってきた私にとっては絵本の世界ともいえる場所だった。見るものすべてがファンタジックなこの町では、やはりシャッターを切るのを止められない。 バックパックを背負

スキ
41

フリッタータと言えなくて

「洋風卵焼きみたいなもんですね」 ホットケーキとパンケーキ「要は、ホットケーキやろ」 大学生のころ、パンケーキが大流行した。当時、私はこの言葉を何度口にしたか思い出せない。そのくらいパンケーキを愛したていた友人に、このキツイ言葉を浴びせていた。 「連れてってあげるから食べてみ。食べたら違いが分かるから」 当時初めてパンケーキを口にしたとき、私はそれをホットケーキと表現したことを恥じたくなった。具体的に何が違うのかは分からないとはいえ、家庭のホットプレートで焼かれたホッ

スキ
32

ここ掘れイノシシ、奇跡のスマホ

この夏、私はスマホを失くした。しかも、畑で。 遡ること、4ヶ月。 畑作業と友はいつも私にラジオや音楽を届けてくれた。そんな友を私は畑で失くした。それから一週間、毎日畑を探してみたが、全く見つからない。ついには諦めて新しい友を迎えることとした。彼は畑で殉職したのである。 さて季節変わって秋も深まる11月。冬を迎えるせいかイノシシの活動も活発になってきた。そんなイノシシのたちの被害に悩む私は、今日も畑の見回りに。 当たり前のように足跡が付いているのをみると、胸の奥に冷や汗が

スキ
35

久しぶりに野菜を買うと、新しい味がした

自分が育ている作物は購入しない。 また旬ではない作物も買わない。だから、冬にナスやトマトを食べない。 そんな生活が早一年半になった。そのため、昨冬は畑のカブ、水菜、小松菜ばかりを食べていたら春が来ていた。 今年はそうも行かないらしく、当面は野菜を買うほかなさそうだ。だって獣害が出たから。 さて、そろそろ収穫するはずだった野菜を買ってみると、買った野菜、そしてその生産者に対して凄くありがたみを持つようになっている自分がいる。なぜなら、一応は私もその苦労を知っているから。

スキ
35

私は私との会話で忙しい

「忙」という字は、心が亡くなると書く。 ともすれば、私の心は亡くなっているのだろうか? 寂しいかと問われたら「一人で寂しくないの?」 と質問された。ゆっくり考えた。 でも、どれだけ考えても結局、心の底から寂しいとは思っていなかった。寂しくないと言えば嘘になるとは思う。かといって、寂しさが私を苦しめるなんてことは、今のところない。 寂しさって何だろう?この日から寂しさとは何か?なんて考えてみた。 おそらく質問された方の意図としては、一人でと発する以上、「誰か」との交流を

スキ
41

幹に実はならない

幹に実はならない、そしてまた、幹なくして実はならない。 実る唐辛子努力が実るなんて表現があるが、まさに今、唐辛子・香川本鷹は実りの時期を迎えている。夏の暑さや水枯れに耐えながら、なんとか今、収穫を行えているというわけだ。つまり、彼らの努力は文字通り、実を結んだ。 香川本鷹の発芽(4月) 栽培初期から唐辛子をみつめていると、彼らは幾度となく枝を分化させ、今の姿に至っている。1本の幹を2つの枝に分化させ、次第には4、8、16・・・と成長していくわけだ。そして、その分岐点に1

スキ
38

ぼくはたぶん、他人に興味がない

誰かとお話しするのが好き。 一緒にご飯を食べるのはもっと好き。 仮に直接会えない間柄であっても、その人の本を読んだり、ラジオを聴いたり。その人を知るということがとても好きだ。 つまり、他人がスキである。 ただ、ぼくは思う。 ぼくはたぶん他人に興味がない。 もちろん、究極的にって意味だけど。 他人の話を聞きたいのは、それを聞いた自分がどうなるのかを知りたいからだ。 そして、毎日書いている記事だって、全部自分のことだ。自分が見聞きしたことはもとより、経験したすなわち食べた

スキ
82