過去から今を「判断」し、未来に向かって「決断」する
判断と決断って何が違うんだろう?
判断と決断の違いを見つめて
現在は色々と頭を抱えているが、一応答えを出したり、自分を慰めながら何とか選択をしている。
頭を悩ませているときは、他人の能力というのがうらやましく見えるもので
「この人は決断力があるな」と思ってみたり、
「この人は判断力が素晴らしい」と感心してみたりする。
そんなことを考えていると、ふと疑問がわいてきた。
判断と決断って何が違うんだろう?
判断の意味
判断の「判」という字。
これはいわゆる「判る」という意味があり、この漢字を使った言葉で一番有名なのは「判決」という言葉だろう。
「判決」という言葉から「判」の意味を整理していくと、
検察や弁護士が供与する事実や証言から裁判官が被告人の有罪・無罪を「判」断するということになる。
すなわち、判断材料という言葉にもみられる通り、「判」には事実が必要なのである。
他にも「判明」という言葉においては、何か確固たる意味といったものが必要なる。
意味にしろ事実にしろ、それらがすでに発生しているという点において、「判断」をもたらすのは過去の事象ということになるのだろう。
決断は不安定
さて、一方で「決断」であるが、これについては「判断」とは違い、事実や意味がなくとも行える。
ましてや根拠がなくてもいい。
たとえ失敗が過去の経験から目に見えて「判って」いても、私たちは失敗の可能性を度外視して挑戦を「決断」できる。
このように考えていくと「決断」という言葉は聞こえがいいが、冷静になって考えれば「蓋を開けるまで分からない」という不安定なものでもある。
つまり、「決断」は未来に向かって行われる
今の私にできること
ざっと整理すると、我々は
過去をから今を「判断」し、未来に向かって「決断」する
ということになるだろう。
ただひとつわかっているのは、判断だけでは前には進めないということであうる。
つまり、判断はより良い決断のための材料なのだ。
「判断」を重ねていき、それでも決めきれないことが出てきたときに行うのが「決断」になると思う。
私は今、判断をしているのだろうか?それとも決断をしているのだろうか?
この違いが不鮮明である今、私ができることは、私が今すべきことはなるべく盤石な土台を正確な「判断」で積み重ねることなのかもしれない。
なぜなら決断はそもそも不安定だからだ。
つまり、目指すべきは、より良い判断をもって、決断を少しでもゆるぎないものにするといったところなのだろうか。
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「考えないといけないこと多いなぁ」とか「決めないといけないこと多いなぁ」とネガティブモードに入ることがこの一か月多いように思います。
土地の開墾、種の購入、堆肥の量など、農業初心者の私にとっては悩ましい問題が山積しています。
そんなとき、おそらく必要なのは目の前の課題が「判断できることなのか?それとも決断しないといけないことなのか?」を考えることのように思います。
逆に言えば、判断できることを増やすことが自分の心配を減らすことにつながるのかもしれません。
だからこそ、「決断」はなるべく最後の切り札として置いておきたいもの。
そんなことを考えながら毎日頭を抱えております。
というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!
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