好きな表現「読後感」
読後感を私なりに少しお話したい思っています。
読後感という言葉との出会い
「読後感」、私のとても好きな言葉。
読後感とは何か?と聞かれても、基本的には文字通り「本を読んだ後の感覚」だとは思うのですが、それでは何が何だかですよね。
私も何が何だかと思っていたうちの一人だったのですが、『サカバナ』のキャッチフレーズに出会ってから、読後感という表現にほれ込んでしまいました。
「二日酔いのような読後感」
この表現を見た瞬間に、買いました。
せっかく本を読むのに、胃酸が不愉快に鼻を抜け、「あぁ、これ夕方までスイッチはいらねぇだろうな」という諦めムードを味わうことになるなんて。
~のような読後感
他方で、「二日酔いのような」という前置きのおかげで、とても鮮明にその本が何を伝えようとしているのかが分かるような気がしたのです。
実際、読んでみると、ほんと何の役にも立たない酔っ払いエピソードばかりで、一人酒はあまりしない私でも、
「たまにはズタボロになるまで酒も飲んでもいいのかな」
と思ってしまうような感覚を与えてくれます。
この本を読んでからは、私は文章を書くにあたって、どんな感覚を読み手に味わってほしいのだろうと考えるようなりました。。
つまり、私が書く文章において、「~ような読後感」の~はどんなものなんだろう?と考えるようになったということです。
心地よい「読後感」
私は今、自分のプロフィールに「心地よい「読後感」」という一言をいれています。
私としては、本を読んだ後の一番の快感は、「心地よさ」にあると思っています。
私にとっての心地よさとは、本を読み終わった後に、
心臓を突き上げてくるような胸の高鳴りがあったり、
なるほどなぁと頭を抱えながらも次なる問いが生まれてくる感覚のことです。
ただ、このような感覚を言葉にするのは難しくて、今のところは「心地よさ」という表現なのかなといったところです(もっといい表現が見つかればいいなとも思っています)。
胸の高鳴りと頭を抱えることは全く逆の感覚のように思われるかもしれませんが、私にとってはどちらも「心地よい」のです。
読後感と漫才・落語
私が普段書く文章がどれだけ皆様に「心地よい「読後感」」をお届けしているかは分かりません。
それでも分からないなりに一応気を付けていることもあります。
それは、ちゃんと話の展開を明確しようということです。一番多いのは起承転結。場合によっては起承展転結。
特に転と結は一番気を遣いたいなと。
転があるからこそ、結のオチが映えると思っています。逆も然りです。
そんなとき、私がいつもお手本にするのが漫才や落語です。
落語でいえば「おあとがよろしいようで」
漫才でいえば「もうええわ」
やはり自分の中で印象に残る・何度も見るネタというは、この転と結の印象が強いネタのように思います。
そしてこのとき「あぁー、おもろかった」という手放しに感じるのです。
この意味で、私が目指す読後感というのは漫才や落語のような心地よさなのかもしれません。
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お読みいただきありがとうございました。
実はこの文章、サカバナにあやかって少しお酒飲みながら書いてみました。
二日酔いどころか、絶賛ほろ酔いの文章となってしまったこと、お詫びいたします(笑)
というわけで、本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!
また明日もアクセスしてみてください!
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