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Episode 234 弱みを握ると危険です。

「惚れた弱み」って言葉があるじゃないですか。
付き合っているふたりの力関係は、決して"50:50"の関係性が保たれているわけではありません。
基本的には「リードしたい人」と「リードされたい人」という恋愛に対してのスタンスが影響するのだろうと思いますが、それとは別に惚れた方が弱みを握られているような気がします。

私が学生時代につきあっていた女性は全て彼女側が「告った」人で、ふたりの関係のどこかに「私の優位」が滲んでいたと思います。
恋愛系の少女マンガでは、優しくエスコートする王子様との…というシチュエーションは永遠のテーマのひとつであって、今よりも女性の社会進出が進んでいなかった平成立ち上がりの時代、マンガの中にいるキャラたちも、そんな時代背景を色濃く反映していたのだろうと思います。

ま、そんな甘っちょろい少女マンガが好きでも、好きの後にはキスが来て、その後には…という求めあうスキンシップの図式は、「ヤング…」系の男性青年誌ほど露骨な表現はなくても「なんとなく」匂わせる気配は有ったりするのです。
ましてや私は男性であって、女性に性的な興味はあるワケでして…。

恋愛はお互いの同意の上で、関係が進むわけです。
そこには時刻表なんてものが存在するはずはなくて、全て「現場合わせ」の調整で決まるのが普通です。
ところが、私には時刻表が存在するのです。
それは何故かって、私の頭のなかにいる常識の金魚は、「物語」という経験を代替する水分で育てらたからです。
物語の最大の欠点は私が紡ぎ出した経験でなくて、彼と彼女という他人事を横から見ているということ、自分の意思とは関係なく場面は進行して、電車が駅に到着するように関係が深くなっていくのです。

私がこの電車に乗って、次のステップに彼女を誘導します。
そのステップを彼女が拒めたのだろうか?

「恋愛とはこういうものだ」という私が思っている「常識」は、誰かの物語で構成されていた
彼女は私に対して「惚れた弱み」があり、"50:50"の関係を築きにくい状態にあった(だろう)。
少女マンガがベースにある私の態度や行動は、基本的に女性に優しい姿勢で一貫していた。
さて、そこに私が彼女を思う気持ちが存在していたのでしょうか?

表面上はマイペースにあれこれ進めてしまうけど、彼女をエスコートする優しい彼です。
でも、彼女は私という器に何を感じたでしょうか
張りぼての人形か?
理解不能のモンスターか?

何度となくこの話をしてきました。
何度もしなければならないほどに、ASDの恋愛観で重要な部分だと思うのです。
私が暴力に舵を切らなかったのは、経験の代替に注いだものが少女マンガという物語だったからであって、他のものが私の経験に補充されていたら…どうなっていたのでしょうかね。

あなたの心に注がれたものは何ですか?
それはきっと、あなたの人生を左右するものです。
否定できません、抱えて生きるのです。
それを飼いならす方法を見つけないとならない、私はそう思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/5/6

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