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Episode 227 次元が違う話です。

何度も書きますが、このブログに書かれていることは私自身が感じていることで、発達障害者やASDの一般論ではありません。
発達障害者は脳機能の一部に上手く動かない部分があって、そこを迂回して考える事で独特の表現が生まれる人達だと思ってます。
その表現は人それぞれで、特定の形がない…。
改めてそれを理解した上で読んでほしいと思います。

さて…。

文字が苦手だった私は、本を読むことが得意ではありませんでした。
何か物語を…という場合は、ドラマや映画といった目からダイレクトに伝わる情報がメインのメディアが楽で、それが楽しかったのです。
ただ、今と違って昭和の映像メディアには個人ごとにスマホなんかがあるワケもなく、一家に一台のカラーテレビが精一杯の時代でして、それを独占するなんて無理だったのです。
そう言った意味で私にとっての思春期メインメディアは、文字の少ない視覚ダイレクトな「マンガ」だったのです。

ただ、周りの男の子が騒ぐようなジャンプ系の「聖闘士星矢」や「北斗の拳」って、筋肉質で暴力的過ぎて…。
それよりも大和和紀さんの「はいからさんが通る」から始まって、渡辺多恵子さんの「ファミリー!」とか、成田美名子さんの「エイリアン通り」とかが好み…。
3つ年上の姉の書棚からこっそりと持ち出した少女マンガを読んで、美的で甘酸っぱい線の細い乙女チックな世界観に陶酔したのです。

恐らく、後に有川浩さんとか辻村深月さんとかの小説を好む趣味は、この時代の少女マンガに影響された結果だろうと思います。

いずれにせよ、女性目線の物語を好み男性目線の肉体美を好むという趣向のアンバランスさは明らかで、そこに輪を掛けてASD的なコミュニケーションの未熟さ故に同性とのたわいもないエッチ談義からも遠ざかったのです。
まぁ、「まいっちんぐ!」に男の子目線の社会的なエロさを感じないのですから、会話に入れるワケもなかったのですけどね…。

結果的に男性目線の視覚的な性的感情と、女性目線の物語的な恋愛感情が、私の中では別次元のモノとして認識されてしまったのだろうと思います。

愛と性は別次元のもの。
それが「相手を思いやる気持ち」という同一の直線に並ぶ共通のことで結ばれると知るのは、それからかなり後の話です。

旧ブログ アーカイブ 2019/4/29

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