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Episode 37 一人称がないのです。

恋愛ものの映画を見ているとするじゃないですか。
私は男性で恋愛の対象は女性です、トランスジェンダーでもありません。
となると、男女の関係を主題にした「ベタな恋愛もの」あたりなら、主人公が男性か女性かにかかわらず、男性目線で映画を見ることになってしまいがちです。
大好きな有川浩さんの小説が原作の作品なんて良いですよね。
前にもちょっと話題にしましたが、「レインツリーの国」や「植物図鑑」。
気分はすっかり玉森裕太とか岩田剛典とか…。
男性目線から全体像を見ていると、彼女が彼に心奪われる瞬間とか、「あー!」って思うんですよね。
まぁ、映画の中ではあの二枚目とその美女ですから…。

そのほかにも…例えば、青春もののかたい友情で結ばれるシーンとか、大切な何かを失ったシーンとか、物語のポイントになりそうな印象に残るシーンは、同じように「あー!」って思うことが多いわけです。
私はそんな場面を「YouTube記憶」しちゃうわけです。

話は誤信念課題に戻ります。
相手との会話を上空から見下ろしている私は、相手の言葉に対してリアクション返答します
頭の中で「YouTube記憶」したイメージとのすり合わせた「答え」を喋っているわけです。
映画の一場面を思い出してこの場面はこれ、その場面はそれ…って感じです。

ちなみに「これ」と「それ」は同じ映画じゃない場合がほとんどです。
これを言ったのは「レインツリーの国」の向坂伸行(=玉森裕太)で、それを言ったのは「植物図鑑」の日下部樹(=岩田剛典)って感じでしょうか。
もう、いい男の良いところ取りですよ。

映画の中では彼が発した言葉に対して彼女が彼女の考えを持ってアクションを起こします。
でも、それは映画の中の話…。
その場面を想定して、私がいま同じことを言ってみたところで、目の前にいる彼女が映画の中と同じ考えを持ってアクションを起こすかと言ったら…まず起こさないでしょうね。
「あれ?上手くいかないなぁ…。」
冷静に考えて、上手くいくわけがないんですけどね。

「サリー・アン課題」と言うと「相手の視点に立てない」ことばかりが指摘されていますが、実は「自分の視点に立てていない」ことの方が深刻だと思います

一人称がない。
相手の気持ちを理解するには、自分自身があってこそなのですが、どうやら私の場合、そこに大きな穴が空いているようなのです。

旧ブログ アーカイブ 2018/10/21

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