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Episode 35 全てが他人事なのです。

アメリカンフットボールの試合を見る時の特等席って、スタンドの最上段だって話を聞いたことがあります。
アメリカンフットボールは基本的に全てのプレーがセットプレーなので、ワンプレーごとに作戦を立ててゲームをします。
攻撃側も守備側も、相手の読み合い騙しあいをしながら勝利を目指すわけです。
もちろんゲームに勝つには作戦だけではダメで、高い身体能力も必要とされるわけですが、全体に占める頭脳の割合は凄く高い競技だと思います。
このプレーで誰が何をやるのかということの全体を眺められる場所が、スタンドの最上段だってことです。

この話は私がドラマや映画を見ているのと同じ原理だと思うのです。
高い位置から全体像を俯瞰して見ている…そういうイメージでしょうか。

ただ、実際にフィールドに立つと…どうでしょうね。
正直言って、アメフトをやる機会は…ありません。
例えばサッカー。
中盤でボールを受けた私が、前線のFWにスルーパス!…なんて場面で、前線のスペースやFWの動きが見極められるかって言ったら、厳しいでしょうね。

「サリー・アン課題」での話です。
一般の人は相手側の立場でモノを考えることを自然と覚えます。
例えば私がアンだとして、サリーはアンがいない間に人形の場所を変えてしまいます。
本当ならアンはその場に居合わせていないのだから、サリーが人形を動かしたことを知らないハズ…と気が付くんですが、私はどうしてもフィールドに立てないのです。

中盤の位置から瞬間的にスペースやFWの動きをバッチリ把握するなんて、一朝一夕で出来るわけありません。
日々の努力と鍛錬で磨き上げられた技術によってなされるのだってことは、代表戦しか見ないような私でも理解できます。

きっと、「サリー・アン課題」に代表される誤信念課題についてもそうなのです。
実際にフィールドに立って、トライ and エラーを繰り返して覚えていくんだろう…と。
ところが、私は全く以ってフィールドに立っている実感を持ったことがありません。
いつもスタンドの最上段から全体像を眺めている…そんな感じなのです。

まるで映画やドラマを見ているかのように自分自身と相手のやり取りを眺めている…とでも言いましょうか。
だから、当事者としての私がいるはずなのに、どこか他人事みたい
「あいつがこう言ったから、私はこう答える」
映画のやり取りを眺めるように自分自身のカラダが物理的に受け答えしているようなイメージ…要するにリアクションなのです。
相手の言葉もスタンドの最上段から物理的に受け取っているわけですから、相手の真意もわからないでしょうね。

このことに気が付いたのは、だいぶ齢をとってからです。
自分自身が他人事って、なんかおかしな話ですけど…。

旧ブログ アーカイブ 2018/10/19

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