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Episode 30 予定変更が怖いのです。

今年は自然災害の多い年でした。
冬場に豪雪、空梅雨かと思えば7月に豪雨、大きな地震が2ヶ所で起き、台風の被害も甚大…。
気象現象については若干の備えも出来るかもしれませんが、それでもこれだけの被害が出てしまうわけで、自然の力に唯々驚くばかりです。
ましてや地震なんて、前触れもなく突然なわけで…。
被災された方々のことを考えると、言葉もでません。

私の思い描く世界は「予定調和」の世界です。
自らの行動を律するのに必要な「時間管理」をするために、未来を全て仮定するのです。
そして、仮定を現実に変えていく作業が日々の生活です。

よく「AS/ASDの人は予定変更に弱い」っていうことを耳にします。
そういう人もいます…少なくても私はそうです。

「目標地点に定時に到達する」ということは、私にとって毎日の生活の根本です。
ザックリ一日を円グラフにして、起床時間と就寝時間を思い描き、大きな枠を放り込んでいく…。
例えば仕事が○時から△時まであって、それに間に合うように×時に出発して、仕事が終わって家に着くのが▼時で…。
その後に、詳細の内容を放り込んで微調整…。
「ん?五十日の週末で雨だったら道が混むなぁ」とか、「●日までの納期で仕事があるから、目途つけるには定時で終わらないなぁ」とか。
わかる範囲の情報を所要時間に置き換えて予定表の中に投げ入れていく…最終的に頭の中に分刻みのスケジュールが出来上がるわけです。
これを予定通りに進めていけば、安定の定時到着になるはずです。

でもね、そんなに上手くいくわけないんですよ。
自分の頭の中のスケジュールの最大の欠陥は、他人の感情が入ってないってことです。
もちろん、他人のコトは「勘定」に入ってます…あの人の作業速度ならこの作業をこのくらいでこなすだろうとか。
自分以外の人の行動は、余裕をもって計算してます…が、あくまでも目に見える「速度」でしか測っていないのです。
これはASDの簡易検査などでよく登場する「サリー・アン課題」に引っ掛かる内容です。

〇か×かを仮定しておかないと先の予定が立てられないし、予定が立たなければ「だから今これをやらなければ」って考えることもできないのです。
その為には他者の能力を「自分目線で機械的に見積る」必要があるワケです。
「スケジュール通り」は全てを〇で確定していく作業で、そこに×が発生すればスケジュールは崩れます。

自己評価を守るためのスケジューリングは自己完結の中で生まれた論法なので、他人とのかかわりの部分が欠落しています。
「予定が変更されてパニック」とか「自己中心的な行動に走る」とかは、自分で想定している予定調和を壊されるとか守り抜こうとするとかの行動の表れなのだと思うのです。

自然災害で世の中が変わってしまったら…考えただけでも恐ろしいです。
想像もできない予定変更の中で、私自身が立ち回れる気がしません。
今できることは、可能な限りの情報を集めておくことだと思ってます。
私に必要なのは想定できる環境、それを実現するには必要な情報…ってことでしょうか。 

旧ブログ アーカイブ 2018/10/14

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