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Episode 226 エロスとエロさは別なのです。

今となってはセクハラ以外の何物でもない気がしますが、昔の生ビールのポスターって、ビーチっぽいアウトドアでジョッキを掲げたビキニ美女が満面の笑顔で写っているヤツってイメージでした。
本来の目的とは別に、女性の容姿が商品として扱われていた、それが普通の時代が長くありました。
男性向けにキャッチーな…という視点ですよね。
でも、この生ビールのポスターには「セクシー」はあっても「エロさ」はないのです。
その理由は被写体であるモデルさんの視線に「媚びる感」が無いからだと思います。

衝撃的な性的興奮を覚えてしまった小学生の私は、家にあった25冊組の百科事典を隈なく捲るのです。
百科事典に載るような芸術作品にも女性のヌードを扱う作品が数多く含まれていて、そこに登場する芸術作品としての女性のカラダというのは「美の象徴」という言葉で代表される、表現されるべき神秘として扱われるわけです。
そこには性愛の持つ湿っぽさがないのです。

あの頃、私の周りの男の子の間で永井豪氏の「花平バズーカ」や、えびはら武司氏の「まいっちんぐマチコ先生」とかが流行っていて、兄弟のいる友だちがこっそりとマンガを借りてきて、部屋に集まって回し読みとか…。
みんなが集まるし、とりあえず付いて行って隅っこで私も参加…でも、あの昭和チックなエッチに何の興奮も感じないのです。
「まいっちんぐ!」とか、何が面白いの?

私の性的な思考は、明らかに「美としての肉体」に向けられていました。
そこにコミュニケーションを含む「エロさ」は必要なかったのです。

昔のビールのポスターに見る水着美女の笑顔…。
あの笑顔が水着姿から陰湿なエロさを剥ぎ取るわけです…一般的にはね。
でも私は健康的な肉体美にこそ、エロスを見てしまう…。

あの時、金髪のお姉さんと出会っていたからなのか…それは分かりませんが、私には肉体的なエロスとコミュニケーションの延長としての性愛の関連性が見つけられなかったのだろうと思います。
そしてこれは、恐らくその後の私に大きな影響を与えることになると思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/4/28

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