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Episode 225 直球が胸に刺さるのです。

私が性的な興奮を初めて覚えたのは、小学校の1年生の時だったと思います。
友だちの家に何げなく置いてあった週刊誌のグラビアに、白人金髪のお姉さんのボリュームあるバストがドーンと写っているのを見つけてしまったのです。
それは衝撃的でした。
洋物のヌードグラビアを一度も見たことがない成人がいるとは思えません、私個人の印象を言ってしまえば、基本的に洋物のグラビアの女性は「強い」。
それは、性的でありながら媚びる感がない、眼力の強い印象です。

「どう?私のカラダ。」
グラビアから語り掛けてくるような金髪美女の目線からは、恥という概念が微塵もない乾燥したエロスだったように思います。

1970年生まれの私が子どものころは、メディアの性描写が今と違った形で表現されていたと思います。
例えば、女性の胸は基本的にどのメディアでもオープンでした。
ホームドラマやコントでも胸を開けるお色気シーンは普通にあって、それを咎める社会的なムーブメントはなかったのです。
ルパン三世のファーストシリーズやキューティーハニーなど、お色気満載のアニメーションも花盛りで、それが普通に放送されている時代…。
でも、それはどこかしらに湿っぽさを感じさせる表現だったと思います。
峰不二子のルパンに対しての色仕掛け、キューティーハニーの変身シーン、バカ殿様では帯を引っ張る「あれーっ」とかね。
どこかしらで男の優位性という概念に立った、男の好いように女性のお色気が扱われた社会性の強いエロだったのだと思います。

そんなものが普通に溢れていた時代、それにエロさを感じていたかと言えば、多分Noです。
おそらく、私の中に「社会的エロス」を理解するスキルがなかったのだと思います。
そんな時に、それとは別次元の肉感的な直球エロスが飛んできたワケです。

子ども心に「ガツン」と殴られたような衝撃を受けました。
女性のカラダに興味を持つキッカケを作ったのは、間違いなくあの時のグラビアの金髪さん。

今になってみれば、あの頃の「社会的エロス」は、その時代背景も含めて理解できます。
女性が虐げられていた時代の象徴みたいなものですが、良い悪いは別にして、その時代はそうだったのだと理解した上で、エロさを感じることは出来ます。
私が大学生になったのが1989年のこと…ちょうど平成元年でした。
昭和な時代のエロさを、昭和のころには全く理解できなかった私。
その一方で、洋物の直球エロスは私の心に突き刺さるのです。

つまり、人間の心理的な部分を表現したロマンポルノ的な和風のエロスを理解できなかった私は、日本人的な倫理観や恋愛観とかいった社会性に乏しかったことを裏付けているような気がしてならないのです。
これがASD的なエロスの感じ方なのだというのはかなり乱暴ですが、だからといって一概に「こじ付け」だとは思えないのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/4/27

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