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Episode 232 仮想現実の恋なのです。

VRって、最近いろいろな分野で実際に使われていますよね。
その多くはゲームなどの娯楽の方面でしょうが、博物館や資料館で太古の昔を疑似体験するとか、学術的な分野での実用化も進んでいるようです。
一度、あのVRゴーグルをつけて、ゲームのデモとか見たことがあるのですが…私はあまり得意ではないですねぇ…。
ゲームのような激しいアクション有りでの使用は、ちょっと…酔いそうで。

今でこそ仮想現実と言えばこのVR技術を指すのでしょうが、私は子どものころからVRの世界にいたなんて話をしたら、どう思うでしょう。

私には過敏と鈍麻があり、それ故に定型の方々と同じ行動や思考が難しくて、子どものころから独りでいることが多かったのだと私は思っています。
でも、独りが好きでそうなったワケではない…これは何度となくこのブログでお話ししてきたことです。

もうひとつこのブログでお話ししている点は、発達障害者本人が自分の感覚が定型の皆さんと違うと認識できていないこと…つまり自覚がないということです。
私は左利きですが…自分自身で左手で箸を持って食事をするということに何の違和感も感じませんが、他の人の左利きは「あ、左利き!」と感じます。
人気バンドWANIMA ベース/ボーカルのKENTAさんがレフティ・ベースを構えれば、「カッコ良い・カッコ悪い」は個人の感情だとして、それとは別に「お、レフティ!」と思うでしょう。
それじゃぁ、KENTAさんが違和感を持ってレフティ・ベースを弾いているかと言えば、確実にNoでしょうね。

つまりね、発達障害のある私の感覚は全く違和感なく社会と繋がっていて、それを見ているオーディエンス側が私たちを見て「通常と違う異質」を感じるってことなんです。

発達の過程で社会が広がり、コミュニケーションの幅が広がり、自分と他人の関係性をトライ&エラーを通じて獲得していく「通常の過程」を「過敏/鈍麻」が影響することでできないASDの私たちは、別の方法でその「過程」を埋めようと努力します。
つまり、それが迂回路って話です。
インプットとアウトプットを迂回路を使って強引に定型者と合わせようとする…。
結果的に表現される答えはどことなく違和感を感じながらも一般的には正解になるのです。

私のとっての少女マンガとは、コミュニケーションを通じて得ることができない、私の成長を補完する重要な「経験」でした。
友人や恋人との関係を実際に経験できない分、物語に経験の代替をさせる…言わば、VR。

無機質で乾燥した、どことなく他人事の第三者の私
なんとなく理解できますか?

それはあなたじゃない。
これは私じゃない。
独りで作り上げた仮想現実(=VR)に気が付くということが、発達障害に気が付くということではないだろうか?

何人かの女性とおつき合いがあり、上手くいかなかった学生時代
仮想現実な恋に生きたあのころを振り返り、私はそう思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/5/4

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