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Episode 65 球が切れて終わるのです。

小説や映画で描かれる恋愛って、かなりドラマチックですよね。
お互いに惹かれあいながらもすれ違うとか、別れの危機をいくつも乗り越えて絆を深めていくとか…王道の恋愛小説や映画って、一言でいってしまえばこんなところでしょうか。
それを設定やキャラ、小道具などを駆使して見たこともないような物語を作り上げていく作家さんや監督さんって、やっぱりスゴイと思います。

現実世界の恋愛も、そこまでドラマチックじゃなくても小さな出来事の積み重ねで小説や映画のように絆を深めていくものなのかもしれません…が、私が過去の恋愛経験…といっても経験豊富というわけではありませんが、なんかその辺に違和感があるんですよね。

ちょっと気にしている女性から「つきあって!」と言われて始まる私の恋は、お互いに気持ちを高めていく部分が欠落しているんだと思うんです。
完璧主義でいたい私は、つきあうことになったタイミングから100%であろうと頑張ってしまいます。
「彼女の理想の彼になろう」と、あれこれと努力するんですよね…そこなんですよ。

理想の…とは、何?
いくつもの恋愛小説や映画を見てきて、あの作品のあの部分とか、この作品のこの部分とか、印象に残るシーンってあるじゃないですか。
映画の中では絶妙で「うまくいくキッカケ」になるようなヤツ…それを実行したくなるんです。
後から振り返れば、映画の中では理想的なことでも、背景も性格も違う彼女と私という現実社会で再生しても、答えが一緒になるはずがないって分かるんですけどね。
こんなふたりで噛み合うわけもなく、彼女はカサンドラ的な悲しみを負うわけです。

きっと彼女は私に理想なんて求めてなかったんだと思うんですよね。

理想的って、周りから見て「羨ましい」って思う話じゃないですか。
彼女が私に、私が彼女に、私が私自身に、彼女が彼女自身に、理想を求めたら、絶対に理想と現実にギャップが生まれてきてしまいます。

結局、別れを切り出したのは私の方でした。
理想を求めた結果、理想と現実のギャップに耐えられなくなったのは私自身でした。

パチンと音を立ててスタートした恋愛は、電気の球が切れるようにフッと消えて終わります。
振り返って思うに、私の恋愛は、三人称の私が演じる別人だったのだと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2018/11/18

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